兵庫県佐用町春哉(はるかな)の最明寺(さいみょうじ)に「幻の国宝」がある。鎌倉幕府5代執権の北条時頼が自ら彫ったとも伝わる坐像で、1950年までは国宝とされていた。実はこの人物、現在大詰めを迎えている大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時のひ孫で、北条氏と肩を並べる三浦氏をも滅ぼした権力者。なぜ、鎌倉から遠く離れた西国の地・佐用に坐像が伝わるのか?(真鍋 愛、段 貴則)
■全国で5体、西日本ではここだけ
「時頼さんの坐像は全国に5体あるが、西日本にあるのは佐用だけ」。北条時頼坐像保存会の会長船曳誠さん(71)=同町=は胸を張る。
坐像はヒノキの寄せ木つくりで高さは約80センチ。1901(明治34)年に旧「国宝」に指定され、戦後、文化財保護法によって国指定の重要文化財となった。
鎌倉時代後期の作とみられ、文化庁の「国指定文化財等データベース」では作者欄が空白になっている。誰の作かは謎のままだが、地元には独自の伝承が残っている。
船曳さんによると、かつて春哉は「下志文(しもしぶみ)」という地名で、北条氏の荘園だったという。時頼は執権職を退いた後、僧侶となって諸国を行脚し、困窮した人々を救った。春哉地域に立ち寄った際、病に倒れ、3カ月間静養した-と伝わっているそうだ。
手厚く看病し、世話をしたのは住民たちで、時頼の正体を知ったのは、病が癒えた時頼が去った後。お礼として、和歌と自ら彫った木像を残していったとされる。船曳さんは「滞在3カ月でここまで立派な坐像を完成させるのは無理。一部を彫ったのでは」とみる。
■地名にも残る「縁」
時頼と佐用の縁は、地名としても残る。
春哉の由来は、時頼が詠んで残したとされる和歌にある。「深雪にも/あさる雉子(きぎす)の/声聞けば/己が心は/いつも春哉」の下の句から名付けた。また、佐用町の前身の一つ、春哉を含む旧「三日月町」についても、船曳さんは「小さい頃から『時頼さんが3カ月滞在したのが由来』と聞いている」と話す。
春哉では、坐像を安置するため集落の南方の丘にお堂と、時頼の歌を刻んだ歌碑を建立。地域住民で代々守り継いできた。時頼が春哉を出立した2月14日を「時頼さんの日」と定め、毎年、お堂で例祭も営んでいる。船曳さんは「時頼さんの坐像は地域の宝。歴史とともに子どもたちに引き継いでいきたい」と目を細めた。
坐像は、予約をすれば観覧することができる。予約は町商工観光課TEL0790・82・0670
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