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寄付された家具に囲まれ、日本語の勉強に励むハンナ・シドロバさん=神戸市須磨区内
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寄付された家具に囲まれ、日本語の勉強に励むハンナ・シドロバさん=神戸市須磨区内
オレフ・ルニンさん(右)は、本業だったエンジニアとして避難生活の基盤をつくる=神戸市中央区港島南町1
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オレフ・ルニンさん(右)は、本業だったエンジニアとして避難生活の基盤をつくる=神戸市中央区港島南町1
ボランティアに参加するベラ・マチュパさん(左)らウクライナ避難民ら=神戸市中央区港島中町2
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ボランティアに参加するベラ・マチュパさん(左)らウクライナ避難民ら=神戸市中央区港島中町2

 ロシアがウクライナに侵攻を開始して24日で1年となった。日本に身を寄せたウクライナからの避難民の中には、戦闘の長期化を見越し、母国での職歴を生かして就労に踏み出す人もいる。だが、言葉や環境の違いなどが壁となって仕事を得られず、暮らしを見通せなくなっている人も多い。

■「息子を何とか大学に」

 昨年8月、ウクライナ南東部のザポリージャ州から日本に逃れたハンナ・シドロバさん(43)は神戸市須磨区で高校2年の息子マキシムさん(17)と暮らす。家具などの寄付を受け、日本財団からの支援金もあって何とか暮らすが、マキシムさんの大学進学費用は全く足りない。

 日本でのインターナショナルスクールの学費無料措置も6月末で終わる。母国で成績優秀だったマキシムさんを「何とか大学に行かせてあげたい」と願うハンナさん。看護師として8年働いた経験があり、来日後の半年間、朝から晩まで必死で日本語を勉強した。

 ハローワークを通じ、日本人と同じ方法で須磨区内の医療機関にパート採用され、2月15日から看護助手として働き始めた。漢字や丁寧語などの習得はこれからのため、困ることも多いが、スタッフはウクライナ語で出迎え、励ましの手紙もくれた。

 「意味のない争いのために子どもの未来を奪われたくない」と踏ん張るハンナさんだが、今も救急車のサイレンを聞くたびに、爆撃の警報を思い出して不安に駆られる。毎朝起きると一番にニュースを見て、現地の家族の無事を確認する日々は続く。

■翻訳アプリでやりとり

 神戸市北区に避難するオレフ・ルニンさん(41)は昨年9月から、通信機器の検査・測定などをする会社「ディーエスピーリサーチ」(同市中央区)でフルタイムの契約社員として働く。ウクライナでは携帯通信会社のエンジニアとして働いていた。

 同5月に避難後、家族が仕事や学校に行く中、「毎日留守番で、時間が長く感じた」。支援団体に紹介されたのが今の会社だった。海外の顧客が多く、英語ができてエンジニア経験のあるルニンさんにうまくマッチしたという。日本語はあまり話せないが、翻訳アプリなども使って社員らとやりとりしている。

 ルニンさんは当初「侵攻は1週間で終わるだろう」と予想したがかなわず、その後も「あと少し」という望みが裏切られ続ける。ただ、今は「自分の仕事ができている」と自負しながら帰国できる日を待つ。

■神戸市の就労は60人中20人?

 一方、娘夫婦と孫3人と同市中央区のポートアイランドで暮らすベラ・マチュパさん(64)は、思うように働くことができない。

 昨年9月、ホテル清掃の仕事に就いたが、重いシーツの束を持ち上げるなど力仕事に体が耐えきれず、医師に止められて2週間で退職した。自身の医療費もかかる中で「座り仕事があれば働きたい」と希望するが、日本語が話せないため選択肢は少ない。

 神戸市国際課によると、ウクライナから市内に避難する19歳以上の60人のうち、就労を把握できているのは20人。年齢などを理由に日本語の習得が難しかったり、帰国時期が見通せず就労意欲が持てなかったりするという。

 家にこもりがちで孤立する避難民もいるといい、一般社団法人の日本避難所支援機構(同市長田区)は今月18日、スニーカーを市民に無料配布するイベントに、避難民にもボランティアとして参加してもらった。

 金田真須美事務局長は「金銭面だけでなく、地域のつながりづくりとしても働くことは重要」と指摘。「避難民が働ける新しいスタイルの業態を考えたい」と見据えた。

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