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明石商野球部111人の夏が20日、終わった。本気で目指した全国制覇まであと少しだった。準決勝で敗退した後、甲子園の応援席から拍手が鳴りやまなかった。一体感こそが明石商の強み。グラウンドで、スタンドで、大所帯のチームをまとめたのは、応援団長と主将の絆だった。
準決勝の相手は強打の履正社(大阪)。三塁側アルプスを埋めた明石商応援団の中心は、ベンチ入りできなかった野球部員たちだ。
悔しさを乗り越え、応援に徹する。「111人全員で勝つ」。山口翔大(しょうた)団長(3年)の胸には、重宮涼主将(同)と交わした約束があった。
小学生から軟式野球を始め「監督に注意されただけで泣いていた」という山口団長。中学でも目立った結果を残せなかったが「甲子園に行きたい」と明石商に入学した。選抜チームの経験者がいる雰囲気に「びびった」が、ひたむきに練習を重ねた。
ベンチ入りできないまま迎えた昨秋、新チームの応援団長に名乗り出た。
「お前しかいないやろ」とチームメートに声を掛けられたからだ。人前に出るのは苦手だったが「チームのために」と決心した。
春のセンバツでベスト4に進んだ直後の春季大会。個性が強い部員たちを応援席でまとめられない。コーチから「もう団長を辞めろ」と言われた。同じ頃、チームも県内公式戦28連勝で記録がストップし、ぎくしゃくしたムードが漂った。
重宮主将も「主将を辞めたい」とチームに伝えた。選手たちが引き留め、思いとどまった。
応援団長と主将-。互いが背負う責任に共感し、相談を重ねた。
チームの危機を乗り越え、夏の兵庫大会で優勝。2年連続の甲子園出場を勝ち取った。重宮主将は毎試合後、「応援ありがとう」とLINE(ライン)でメッセージを送った。同大会優勝後のインタビューで狭間善徳監督(55)は、真っ先にスタンドに手を振り「お前ら、ありがとうな」。111人で勝つという言葉の意味が分かった気がした。
開幕の2日前、重宮主将と一緒に考えた言葉「力戦奮闘」と縫った鉢巻きを用意。重宮主将は「スタンドはお前に任せた グラウンドはオレに任せろ」とペンで書いた。
山口団長はその鉢巻きを締め、快進撃を続けるナインにありったけの声援を送った。試合終了。こみ上げる涙をこらえた。スタンド前に整列したナインに精いっぱいの笑顔で拍手を送った。
「ここで泣くのは俺じゃない。ここまで連れてきてくれて、みんなには感謝しかない」
雨と汗でぬれた鉢巻きを大事そうにしまい込み、スタンドを後にした。(小西隆久)