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「4番・ショート、槙原君」
球場に響いたアナウンスが心地よかった。
仁川の副主将、槙原葵人(あおと)は昨秋から約5カ月間、急性白血病の治療でチームを離れた。やせ細ってゆく体、先の見えない闘病生活…。支えになったのは、他でもない仲間の存在だった。
チームメートはベンチに「背番号6」のユニホームを飾って秋の県大会を戦い、練習の合間を縫って見舞いに訪れた。年末には報徳や関学など、近隣のライバル校、プロ野球オリックスの吉田正尚や広島の小園海斗からも回復を願うメッセージ動画が届いた。「最後の夏は同級生9人全員で試合に出る」-。入学当初から一度も果たせていない目標が、いつしかチームの合言葉になった。
この日、仁川は武庫荘総合にコールドゲーム負け。それでも一回と五回に内野ゴロを併殺に仕留めるなど、槙原はチームの要として躍動した。土でユニホームを真っ黒にした背番号6の周りには、8人の仲間。最初で最後となる全員そろっての公式戦を終えると、すがすがしい表情で繰り返した。「野球があったから乗り越えられた。みんなありがとう」(長江優咲)