模索の一歩 尼崎JR脱線事故11年 安全へ
直径1メートルほどの鉄のヘッドマークが紙のように折れ曲がり、金属製のスイッチ盤は握りつぶしたようにへこむ。1991年5月、乗客ら42人が死亡した滋賀県甲賀市の信楽高原鉄道事故。遺族の強い要望で、終点信楽駅の待合所には97年から事故車両の部品が展示されている。
それより前の93年、衝突現場には、運転士を含む犠牲者全員の名前を刻んだ慰霊碑が建立された。事故後に入社した総務部の神山敬介(43)は「発生時は人ごとだった。でも事故の痕跡を日常的に見ることが、安全運輸の土台になっている」と話す。
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