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 「ママ、三十五歳の誕生日おめでとう」

 小学三年の長男(8つ)と幼稚園に通う長女(5つ)が声をそろえる。

 昨年十月、仏壇の前で誕生日パーティーを開いた。テーブルにはすしとケーキ。みんなで「ハッピーバースデー・トゥー・ユー」と歌った。

 「ママ」は川西市の杉山恭枝さん=当時(34)。出勤途中、JR脱線事故に遭い、亡くなった。一人で長男と長女を育てていた。事故後、七歳と五歳の息子がいる姉(37)夫婦が二人を引き取った。

 川西市の実家近くのマンションに引っ越し、家族六人の新生活が始まる。恭枝さんの子どもたちは、おばのことを「ねえね」と呼ぶ。毎晩、六人であみだくじを引いてペアを決め、三つのベッドに二人ずつ寝る。

 姉夫婦は共働き。恭枝さんの母親の池田光代さん(68)が夕食を作って届ける。父親の藤作さん(72)と二人だったころと比べ、肉料理が増えた。藤作さんは「孫のために長生きせなあかん」と酒の量を減らした。

 一年前。二人の子どもは母の死を理解することからスタートした。

 事故翌日の四月二十六日。恭枝さんの姉が「死んじゃうってどういうことか分かる?」と聞いた。「ケガしちゃうこと」「消えてなくなること」と返ってきた。

 姉は「目には見えないけど、いつもそばにいてくれることなのよ」と話し、遺体と対面させた。長女は「なんでおめめを開けないの?」と不思議そうに言った。

 先に「症状」が現れたのは長女だった。ふとしたことで一時間近く泣きやまない。仏間に入るのを嫌がり、おばの姿が見えなくなると、「ねえね、どこ」と探し回った。

 長男は腹痛を訴え、学校でたびたび保健室に通った。「ケガをするのが怖い」と運動場で遊びたがらない。

 恭枝さんの姉は、「一人じゃないからね。大丈夫よ」と二人を必死に抱き締めた。ほぼ毎日、兵庫県こころのケアセンターに電話で相談した。

 落ち着きが見られるようになったのは、お盆が過ぎてから。今では、いとこを加えた四人で実家とマンションを行き来し、はしゃぎ声を上げる。

 「ママはね、JRの事故で天国に行ったんだよ」。今年三月、長女が友だちに話していた。

 その姿に、祖母の光代さんは「孫はようやく、母親のことを普通にしゃべれるようになった」と安堵(あんど)した。

 「恭枝は身を持って命の重さを子どもたちに伝えてくれた。妹の分も、この子らを見ていこう」と姉は思う。

 不安はある。だけど、「うちは今、いい家族だと思うんです」。それが一番だと信じている。

     ◇

 尼崎JR脱線事故から間もなく一年になる。ある日突然、愛する人を失った遺族、心と体に深い傷を負った負傷者。それぞれが懸命に生きてきた歩みに触れたい。

(森本尚樹、中島摩子、金川 篤)

2006/4/19
 

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