兵庫人 第5部 食と農の達人たち
■100年続く味、後世に
美食家で知られる文豪・谷崎潤一郎が愛したレストランが神戸にある。
小説「細雪(ささめゆき)」に登場する「旧オリエンタルホテル」と、谷崎らが名付けた「レストラン ハイウエイ」。
時代を超え、料理人たちがその伝統の味を守る。
「昔から外国人や財界人が集まる社交場だった。舌の肥えた客が味をつくってきた」
旧オリエンタルホテル出身で、神戸メリケンパークオリエンタルホテル特別顧問の森光昭(62)は懐かしむ。
旧オリエンタルは神戸開港から間もない一八七〇年、旧居留地に開業。当時から料理が評判で、英国人作家キプリングが「本物の料理を食べられる」と記したほど。一九九五年の阪神・淡路大震災で全壊して閉鎖されるまで、神戸の洋食文化を先導した。
森は高度成長期の六四年に入社。レストランの料理長などを務めた。「時間をかけて作ったデミグラなどのソース類、カレーやビーフシチューといった煮込み料理が名物だった。レシピなんかなく、自分の目と舌で覚えた」
六〇年代初めまで、調理場では英語とフランス語しか使えず、メニューや食材を丸暗記した。失敗すれば怒声が飛び、平手で殴られた。厳しい修業が料理人を育て上げた。
神戸・三宮でレストラン「クックナカタ」を経営する中田博一(ひろかず)(65)、元町にある「帝武陣(てむじん)」の店主山田美津弘(みつひろ)(63)らも旧オリエンタルの料理長などを経て独立。自分の店で昔ながらの味を伝える。
しかし、旧オリエンタルは経営主体が転々とし、震災後に歴史の幕を閉じた。料理もいったんは途絶えたが、昨年、神戸メリケンパークオリエンタルホテルで、カレーなど昔のメニューがよみがえった。「先輩から受け継がれながら百年は続いてきた。その味を後世に残したい」。森が先頭に立ち、後輩に継承する。
ハイウエイは、三二年の創業。谷崎が、友人だった初代店主と、文人仲間が集まるサロンとして開いた。店名は、谷崎と画家の小出楢重(こいで・ならしげ)、米ハリウッドで国際的俳優として活躍した上山草人(かみやま そうじん)が付けた。
現在は三代目の村上實(みのる)(78)、娘の恵子(47)とその夫で四代目の志恒(しこう)(38)が店を守る。恵子は「お客さんに支えられてここまで続けられた」。
ハイウエイも港との縁が深い。二代目が日本郵船で客船のコックをしていたことからシンプルな味で素材を生かす“郵船流”を受け継ぐ。晩年、体調を崩した谷崎がハイウエイから取り寄せていたというコンソメスープも、そのままの味だ。
「今は食が乱れているが、丁寧に作った本物の味を伝えたい」。志恒は力を込めた。
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偽装表示、安全性不安、食料危機…。「食」が大きく揺らいでいる。その中で「食」を大切に守り育て、魅力を伝える人たちをたどる。(敬称略)
2007/8/5