新兵庫人 第5部 線路は続くよ
2009年3月20日は100年を超す阪神電鉄の社史にさんぜんと輝く日になった。「阪神なんば線」(尼崎‐大阪難波間)が開通。路線総延長40・1キロと大手私鉄で2番目に短い阪神が、JRを除けば日本一の路線網を持つ近鉄とつながった。既に相互乗り入れしている山陽電鉄と合わせたネットワークは姫路から奈良、京都、伊勢志摩、名古屋まで600キロを超える。
大手私鉄を結ぶなんば線構想は戦後間もなく浮上し、関西の鉄道網を大きく変える世紀の大事業と期待されたが、街の分断を懸念する沿線の反対運動で長く中断していた。東京でも昨年7月、大手をつなぐ東京メトロ副都心線が開業したが、ダイヤの乱れや停電などが頻発し、駅設備や人員配置の見直しを迫られた。「プレッシャーは大きかった」。阪神の鉄道部門の総帥・常務都市交通事業本部長の藤原崇起(たかおき)(57)は振り返る。
阪神と近鉄は、鉄道会社としての個性が大きく違う。約1キロごとに駅を置き、都市部をきめ細かく結ぶ阪神に対し、近鉄は長距離の観光輸送が目玉。阪神は他社と合併せず大阪‐神戸間に徹するが、近鉄は実に約30回も合併を繰り返し、路線網を広げてきた。
ダイヤ、車両の規格、運転、運賃のやりとり…。相互乗り入れは膨大な調整が伴う。社風も歴史も異なるだけに両社は慎重を期したが、大きなトラブルもなく運転開始5カ月を間近にする。
藤原は目尻を下げながら、携わった個人名やその仕事ぶりを挙げた。「現場がよう頑張ってくれました」
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兵庫県明石市出身。1975(昭和50)年、阪神に入社。運輸部や車両部など鉄道の最前線が長く、徹底した現場主義を信条とする。通勤時は運転士の横に立ち、ホームや線路、沿線をチェックしながら、社員らへの声かけを欠かさない。「鉄道はワンマンやトップダウンじゃ成り立たない。あらためて感じましたね」
開業時の興奮も一段落した4月7日夜。藤原は、なんば線の起点・尼崎駅にいた。甲子園球場での阪神タイガース初戦が終わり、観客を乗せた臨時電車が次々に入ってきた。ダイヤの都合で臨時電車はなんば線に入らない。難波、奈良方面への乗り換え客が円滑に流れるか不安だった。
ホームに多くの人が降りたが、乗り換えは滞りなく終わった。タイガースの劇的な逆転サヨナラ勝ちで、皆、上機嫌だった。なんば線は新たな人の流れを生み、関西に“地殻変動”の兆しを見せた。
藤原はこの日の光景を一生忘れない。「レールが延びるのは、そうあることやない。立ち会えたのは光栄やけど、お客さまが喜ぶのが何よりうれしい。鉄道人冥利(みょうり)に尽きますな」。雑踏に目をやり、破顔一笑した。(敬称略)
2009/8/2