「今日は激ムズ(かしい)計算問題を持ってきました」
三田市のつつじが丘小学校。10月下旬、大学4年の川井淳平さん(22)が、児童数22人の3年1組で教壇に立った。
1カ月の教育実習の最終日。気合十分の川井さん。「簡単や。1秒で分かったわ」。男子の声にずっこけた。
同小にはこの秋、川井さんら3人の実習生がやって来た。今は市外に住むが、全員つつじが丘(つつじ)育ちの若者だ。
初日は思い出話でひとしきり盛り上がった。そして、これ。「子ども、少ないなあ」
街開きの3年後、1991年に開校。97年度には1310人を数え、兵庫県内一のマンモス校だった。
「運動会なんてね、どれが自分の子か分からなかったもん」。2男1女を育てた公務員古井洋一さん(58)は振り返る。
それが今や244人。1学年に1、2クラスしかない。
同じく実習生の池田菜奈さん(22)も「驚いて緊張が吹き飛んだ」ほどだ。彼らが小学生だったのはわずか十数年前。学校は急激に変わった。
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「やった、飛んだ!」。カーペットが敷かれた教室で、手作りのおもちゃで遊ぶ子どもたちの歓声が上がる。
毎週月曜の放課後、地域のおじいちゃん、おばあちゃん世代が、児童と一緒に時間を過ごす。宿題を見たり、身の回りの物で工作したり。
3年前、ほとんど使われていない校舎の一部は、住民が運営する「つつじ交流ひろば」に生まれ変わった。趣味の場に、会合にと毎日予約でほぼ埋まる。
さらに、学校が終わった子どもの居場所にもなっている。月曜に加え、今年から夏休みに毎日開放。共働きの親たちも大いに助かった。
児童の9割はつつじに住む。同じ町で人数が少ないこともあってか、「行儀が良くて、ちょっとシャイかな」と赴任3年目の藪下稚陽子(ちよこ)校長(58)。
だからこそ、学校だけでは足りないという。「地域の人には児童を見てもらい、子どもたちは親以外の大人を知るように心掛けてます。皆で力を合わせて生きていこう、と」
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成長した子どもの多くは、町を出ていく。でも、「つつじのことはいつも心にある」。来春から大阪で教員になる川井さんは言う。
「こないだ来とった新聞記者の人や」「なあ新聞ちょうだい」
ある日、通りをぶらぶらしていると下校中の1年生に囲まれた。
1部手渡すと座り込み、熱心にテレビ欄を見始めた。その様子に思わず頬が緩む。
子どもたちは元気だ。ぎゅうぎゅう詰めの運動場で遊んだ時代も。お年寄りと折り紙を楽しむ今も。
そして彼らにとって、ここが無二のふるさとであることに変わりはない。
(黒川裕生)
2015/12/2