周囲の山々が朝もやにかすむ午前8時前。三田市のニュータウンつつじが丘(つつじ)に暮らす派遣社員横山亜由美さん(28)が、車で自宅を出た。
職場はJR三田駅近く。片道30分ほどの車通勤だ。県道の慢性的な渋滞を抜け、南へ。そばに広がる田んぼの中を、電車が走り抜けていく。
運転中は、好きな音楽を聴く。何も考えない。ここ数年で自然と身についた作法。
「将来を本気で考え始めると、焦りで叫びたくなるので」
80代の祖母、50代の母と3人暮らし。父は4年前に亡くなった。
専門学校を出て、大阪や宝塚で仕事を探した。家を出るつもりだった。だが、かなわなかった。
きっかけがつかめないまま、気づけば30手前。一戸建て住宅と小さな商店しかないつつじ。独身アラサー女性の“居場所”はないように感じてしまう。
母には「自分のお金で早く家を出て」と言われている。でも…。このまま出られない? 「あとは結婚しかない」。冗談とも本気ともつかない言葉だ。
仕事を終えた夜。東京からつつじに里帰り中の同級生、宇治原朝子さん(28)の実家で久しぶりにおしゃべり。8キロ先の高校まで、羽虫に襲われながら自転車を飛ばした2人だ。
「なんだこの“村”は! ってよく怒ってたよね」と大笑いする横山さん。あれ、さっきまで深刻な話をしていたはずでは…。
「村人はタフじゃないとね」
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微妙に不便-。
つつじの住民は、この町を異口同音にそう表現する。
最寄りのJR相野駅までは約2・5キロ。バスも電車も30分に1本。歳月を経るごとに“微妙”な不満がたまっていった。
2000年、つつじの人口はピークに達した。計画の1万人には届かなかったが、8621人。これが今年10月末には6938人に。2割近く減った。
無視できないのは、利便性を求めて町を出る人たちの存在だ。
神戸電鉄の駅近く。フラワータウンの一戸建てで暮らす会社員の女性(62)は8年前、家族4人でつつじから越してきた。「あの町が嫌いになったわけではないんです。でも、子どもの送り迎えで疲れ果てました」
余裕のある区画、静かな環境。一方で交通の便は必ずしも恵まれない。つつじだけの話ではない。郊外に発展してきたニュータウンの宿命なのだろうか。
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町からなくなっているもの。その筆頭は子どもだ。
かつて県内トップのマンモス校として知られたつつじが丘小学校も、今や空き教室ならぬ空き校舎が出るほどという。
ここで育った若者が教育実習で戻ってくると聞き、会いに行った。(黒川裕生)