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地域のお年寄りと一緒に稲の脱穀に挑む小学生たち=三田市つつじが丘南3(撮影・大森 武)
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地域のお年寄りと一緒に稲の脱穀に挑む小学生たち=三田市つつじが丘南3(撮影・大森 武)

地域のお年寄りと一緒に稲の脱穀に挑む小学生たち=三田市つつじが丘南3(撮影・大森 武)

地域のお年寄りと一緒に稲の脱穀に挑む小学生たち=三田市つつじが丘南3(撮影・大森 武)

 70年ほど前まではアカマツが生い茂り、マツタケが採れる小さな山だった。

 三田市のニュータウンつつじが丘(つつじ)は、もともと農村地、同市大川瀬(おおかわせ)の一部。農業を営む前田進さん(85)は少年時代、ここで採れたマツタケを国鉄(現JR)相野駅から貨車に積み、大阪まで売りに行った。

 マツが枯れ、戦後は使い道のない山に。ところが1970年代、宅地開発の波で「山がなんぼでも売れる」時代が到来。この山も買い手がついた。

 とはいえ、前田さんたちも最初は半信半疑だった。

 「こんなとこに、ほんまに家が建つんやろか」

 ほんまに建った。しかも、驚くほど大量に。

 延々と広がる田畑、低く連なる山々。縫うように東条川が流れる。聞こえるのは鳥のさえずりだけ。

 そんな大川瀬の一角で、軍手と長靴姿のシニア数人が畑仕事をしていた。「みんなつつじの人。畑はあこがれだったのよ」。小堀和子さん(64)が笑顔で汗を拭う。

 リタイアした住民の間では、農家に畑を借りて野菜を育てるのが、ちょっとしたブームらしい。

 「朝早うからやりに来てる人もいる。みんな上手に作らはるわ」。15人ほどに畑を貸している大川瀬の平見彰彦さん(82)、美紀子さん(80)夫妻が顔を出した。

 立ち話をしていると、通りかかった男性を小堀さんが呼び止めた。つつじの元自治会長門司享明(たかあき)さん(75)。毎日この辺を散歩しているそうだ。

 「農家の人とも顔なじみになって、柿やら黒豆やら、いろいろいただくんですよ」

 話はそこから大川瀬の歴史に。詳しいですね、と感心すると門司さん「調べたもん」と得意顔。「大川瀬の景色、最高でしょ!」

 農村とのお付き合いは、つつじが丘小学校でもある。水田を借り、5月に田植え、9月は稲刈り。そして10月中旬。

 3年生45人の前に、前田さんや平見彰彦さんら大川瀬の老人会メンバーが千歯こきをどんと置いた。

 「今日は脱穀ね。これ、100年前の道具ですよ」。児童から「ひょええ」と声が上がる。怖い、怖いと腰が引ける子どもを見て「へっへっへ、大丈夫や」。平見さん、楽しそうだ。こんな関係がもう10年になる。

 山奥に突然、大挙して現れた“都会”の人たち。子どもたちに「稲の先生」と呼ばれる前田さんがしみじみと語る。「付き合ってみたら、ここらと何も変わりませんでしたなあ」

 温かな気持ちでつつじに戻る。町の中心部。閑散とした“商店街”に、現実に引き戻された。そうだ、ここの話をしなければ。

(黒川裕生)

2015/12/3
 

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