私たちは加東市の黒崎待子さん(68)の自宅で、2年前に亡くなった母親の稲見なみゑさんの最期の日々について、話を聞いている。
2018年の冬、稲見さんは入所していた施設で急に体調を崩し、搬送される。人工呼吸器で命を永らえる日々が約1カ月間、続く。
医師が黒崎さんに「すでに延命治療になっています。どうしますか?」と告げて約1時間後、稲見さんは穏やかに息を引き取った。
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黒崎さんが当時を振り返りながら、私たちに語り掛ける。「人は逝ってしまう直前まで、耳は聞こえるって言うでしょ」。そして、こんな思いを口にした。
「あの日、私は医者に『今後、どうされますか?』と聞かれて『家族と相談する』って中途半端な返事をしてしまって。その私の声を聞いて、母は亡くなったんじゃないかと思ってね」
稲見さんは生前、延命治療はしないでほしい、と言っていた。それだけに、黒崎さんには後悔が残るようだ。
「でもね、私が呼吸器を外すわけにはいかんでしょ。母に『外したら死ぬねんで』って声を掛けてました」
搬送されて人工呼吸器を着けられた後、母親の意識がなくなってからは、心拍や血圧を刻むグラフの波形が気になった。「なんとか一日でも長く、生きてほしい。そう思う半面、もうあかんやろなとも感じていました」。そう言って、黒崎さんはしんみりとした表情を浮かべた。
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死から2年がたっても拭えない思い。私たちの連載に寄せた手紙にもつづられていた心情だ。
「母は倒れてそのまま、すーっと死んでいたかもしれない。延命治療によって、亡くなるまでの4週間はえらい苦しめたんじゃないだろうか」
黒崎さんが自問するように言葉を絞り出す。「でも、親があの状態になったら生かしたらなって、思いますよね。救急車で運ばれてきたら、医者も放っておくわけにいかんよね。搬送されたら延命になるし、呼吸器を外したら誰かが殺したみたいになるし。うーん、何が良かったのか悪かったのか、やっぱり分かりません」
今も揺れ動く気持ちが私たちに伝わってくる。