
空襲の銃弾が貫通した半鐘。穴は水平に近い角度で撃ち抜かれており、相当低空から撃たれたとみられている=三田市三輪3、三輪会館
1945年7月19日の空襲は、三田にも戦争の爪痕を刻んだ。だが、その空襲に関する史料は少ない。
三田市史には、約1ページの記述があるだけだ。編さんに携わった市参事の印藤昭一さん(51)は「不思議なほど記録がない。当時の三輪町にとって、町民5人の犠牲は大きな出来事だったはずだが」と首をひねる。戦局が悪化し、情報が統制された時代。公式の被害記録が残っていない理由は、謎のままだ。
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