<集団的自衛権、民主主義、憲法、平和とは>
【2014年】
12月4日。木曜日。早朝。東京・富ケ谷の私邸を後にした首相安倍晋三の足取りは軽やかだった。衆院選公示から3日目。序盤情勢を伝える各紙朝刊には「自民300超の勢い」の見出しが躍った。
9時10分。羽田発全日空93便で関西空港に降り立った安倍は、和歌山、大阪、京都、大阪を慌ただしく駆け巡り、計10カ所の街頭でマイクを握った。
「経済最優先でアベノミクスを進めてきた」
「もう一度、日本が世界の真ん中で輝く国になるよう頑張る」
景気回復の実感が及んでいない中小、零細企業対策にも触れ、「雇用を守り、成長して賃金を上げることができる日本をつくっていく」と声高に訴えた。
5カ月前の14年7月に閣議決定した集団的自衛権行使容認にはほとんど触れなかった。自民党の選挙公約にも「集団的自衛権」の6文字はなく、「安全保障法制を速やかに整備する」などの簡単な記述にとどめた。「争点化を避けた」。こう映っても仕方がない対応ぶりだった。
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安倍にとって集団的自衛権の行使容認は第1次政権(2006~07年)でも追求した10年越しの宿願だった。祖父で元首相の岸信介が手掛けた日米安保条約の改定から半世紀。「対等な日米同盟」の実現を目指す安倍に迷いはなかった。
野党不振と見るや前回選挙からわずか2年で解散総選挙に踏み切った。「アベノミクス」「消費再増税の延期」などを連呼する「1強安倍自民」の前に、対立軸を打ち出せない野党の反論はかき消され、有権者をしらけさせた。
結果、投票率は戦後最低の52・66%。自民、公明両党で定数の3分の2を上回る326議席を確保し、自民単独でも絶対安定多数(266)を大きく超えた。
有権者のおよそ2人に1人が棄権した衆院選。その裏で、戦後日本の安全保障政策を大きく変える「安全保障関連法の成立」、さらには憲法改正を見据えた動きが、静かに進行していた。
【2015年】
5月26日。火曜日。衆院本会議場。ゆっくりとした歩調で登壇した安倍は「国家と国民の安全を守り、世界の平和と安全を確かにするもの」と、「平和」や「安全」の言葉を多用し、何度も声を張り上げた。
歴代政権が禁じてきた集団的自衛権行使を可能とする法案の審議入り。国中が揺れた。
全国各地で連日のように反対デモが行われ、各種世論調査では成立の「不支持」が「支持」を上回った。国会特別委の公聴会には大学生らでつくる「SEALDs(シールズ)」のメンバーや元最高裁判事、憲法学者が立ち、「憲法違反」と強調した。
政治に無関心と言われた学生たちが立ち上がり、プラカードやメガホンを手に国会を取り巻く光景は、45~55年前の安保闘争の姿を想起させた。
9月19日。土曜日。午前2時18分。参院本会議。安全保障関連法が成立。平和国家の転換点は「数の力」で決まった。未明の国会を取り囲む若者たちの抗議行動は早朝まで収まらなかった。
9月27日。戦後最長(245日)を刻んだ通常国会が閉幕した。衆参両院での強行採決は、誤算や曲折の末なのか。それとも周到なシナリオだったのか-。
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9月13日。東京・千代田区。参院で安保論争が大詰めを迎える中、戦闘機「零戦」「紫電改」の元パイロット笠井智一(89)=伊丹市=は、靖国(やすくに)神社にいた。
太平洋戦争で亡くなった仲間を慰霊するため、毎年重ねてきた恒例参拝だ。「体力が続くか。今年が最後かもしれん」
その6日後、安保法制は成立した。愛国心の大切さを強調する笠井は力を込める。
「国を守るためには当然必要だ」
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「民主主義」「立憲主義」「平和とは」「憲法とは」-。安保法制に揺れたこの1年、多くの国民が岐路に立つニッポンについて考えた。=敬称略=
(藤原 学、土井秀人)
2015/12/11