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妹尾河童さん=東京都新宿区(撮影・西岡正) 妹尾河童さん=東京都新宿区(撮影・西岡正) 少年時代(妹尾河童さん提供)
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妹尾河童さん=東京都新宿区(撮影・西岡正)

妹尾河童さん=東京都新宿区(撮影・西岡正)

少年時代(妹尾河童さん提供)

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 戦後75年。戦争が遠くかすんでいく。当時10歳の少年は85歳、20歳の青年は95歳になった。あの戦争の日々を、確かな言葉で聞くことができる時間はもう、あまり残されていない。

 「ラストメッセージ」をあなたに届けたい。

   ■   ■

 太平洋戦争前後の神戸を描いた「少年H」が出版されたのは1997年だ。翌年には中学2年の国語の教科書に収録された。著者は神戸市長田区出身の舞台美術家、妹尾河童さん。英語、ロシア語、中国語、韓国語などに訳され、発売後10年で333万部を突破。国境を超え世界中の人に読まれている。戦後75年、河童さんが今、伝えたいことは何だろう。

 東京都新宿区の仕事場を訪ねると、穏やかな表情で記者(39)を迎えてくれた。気になっていた戦争の風化について聞いた。

 「記憶が消えていくのは当然でしょう。今の75歳は終戦の時、赤ん坊。高齢者でも戦争を知らない。僕がいなくなれば記憶も同時に消える。生きているうちにあの戦争の実態を次の世代にちゃんと伝えなければと、66歳の時に少年Hを書いたんだ」

 物語は小学3年生の記憶から始まる。

 「戦争は、いきなり始まるものではない。最初は小石がパラパラ落ちてくる感じ。斜め向かいのうどん屋の兄ちゃんが思想犯で逮捕されたり、若い男が戦場に送られて、どんどん街からいなくなった。洋服屋を営んでいた父親の客のアメリカ人やイギリス人が日本と取引ができなくなって次々に帰国していった。今思えば、あれが前兆だった」

 忍び寄る足音を正確に伝えるために、物語は太平洋戦争が始まる2年前から書き起こした。

 「次の世代には、このまま歩けば戦争につながる予感がする道を歩かないために、戦争とは何かを知ってほしい」

 河童さんの言葉には実感がこもっていた。(今福寛子)

     ◇     ◇

 妹尾河童さんが小学5年生の時、太平洋戦争が始まる。小説「少年H」には戦時下でも生き生きと遊ぶ子どもたちが描かれているが、空襲への不安は常にあった。

 「友達と別れる時に『じゃあな』と手を振りながら『明日こいつとまた遊べるかな』と思うぐらい、生と死は近かった。会えなくなりそうだから、お互い『さよなら』は言わなかった」

 「神戸二中(現兵庫高校)の入学式に行くと、校門の前に銃を持った先輩が立ってるんだ。まるで兵隊の養成所に入ったようで緊張したね」

 空襲警報のサイレンが毎日のように鳴った。1945年3月17日深夜。大阪に次いでB29の大編隊が神戸に飛来し、雨のように焼夷(しょうい)弾を投下した。

 「わが家も燃えだした。母親と一緒にバケツで消火しようとしたが、どうしようもなかった。これ以上は逃げるしかないと、水浸しにした布団を母親と一緒に頭からかぶって逃げたんだ」

 「途中で母親が気を失ったのか転んだ。『寝たらあかん』とほっぺたをたたいて起こして、やっと野原にたどりついた。街が炎上するのをたくさんの人がぼうぜんと見ていた」

 中学3年生で終戦。開戦時、「大和魂がある日本は絶対に勝つ」と断言していた大人たちが、敗戦後すぐに態度を変え、今度はアメリカの言うデモクラシーだと主張し始めた。

 「そんな簡単に変えられるのか。軍国主義を信奉していた学校の教師も民主主義だと百八十度変節した。大人はうそつき、信用できないと思った。尊敬していた父親も弱気になっていることに腹を立て、釜のふたを投げつけた。額から血を流す父親を見て、これ以上自分が生きていたら何をするか分からないと思い自殺を試みた」

 「須磨の高架橋にぶらさがって、列車が近づいた瞬間に顔を上げるつもりだった。でも、線路が激しく揺れる。ばく進する列車が通る時に失神し、気付いたら列車の音が遠ざかった。自殺に失敗した」

 「頭で自分を支配できると考えるのはおこがましいと知った。その時、これからは人の考えは気にせず、僕自身が思うように生きようと固く決心した」

 今も舞台美術家の第一人者、さらにエッセイストとして活躍する河童さん。自分の経験を次の世代にどう伝えるか、そればかり考えていたという。

 「少年Hを爺(じい)さんの思い出話にしたくなかった。大人が昔話をしても子どもは逃げるだけ。少年が見たこと、感じたこと、知ったことを子どもの目の高さで書こうと思った。戦争中なのに最後まで英語を教えたり、命を大切にしろと言ったりする軍事教官もいた。すべての大人に失望したわけじゃない」

 私たち戦争を知らない世代にメッセージを。

 「戦争って何だってことを知ってほしい。それぞれの国や民族は自分の正義が正しいと思っているからだ。正義は一つじゃない。お互いの言い分を認め合わない限り、この地球上から戦争はなくならないと思う」(聞き手・今福寛子)

【せのお・かっぱ】1930年神戸市林田区(現長田区)生まれ。グラフィックデザイナーを経て、24歳の時に独学で舞台美術家としてデビュー。オペラ、バレエ、ミュージカルなど舞台美術のほか、テレビ美術や映像デザインなど幅広く活躍。「河童が覗いた」シリーズなどエッセイストとしても知られる。1997年に出版した自伝的小説「少年H」はミリオンセラーとなり、2013年に映画化された。

2020/8/3
 

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