阪神・淡路大震災では、歴史的建造物や寺社、教会など、「まちのシンボル」の多くが被害を受けた。震災から五年十カ月を経た今なお、再建を果たせない建物も少なくない。その復興過程は、公的支援を受けられる「文化財」に指定されているかどうかで、大きな格差が生じた。震災後、まちのシンボル再生には、どのような支援があり、何が課題として残されたのか。現状を探った。(磯辺康子、長沼隆之、徳永恭子、新開真理)
「指定」に手厚い支援
震災で、兵庫県内の国・県指定文化財は九十九件、市町指定は四十三件が被害を受けた。「旧居留地十五番館」=神戸市中央区、「風見鶏の館(旧トーマス住宅)」=同、フランク・ロイド・ライト設計の「旧山邑邸」=芦屋市=など重要文化財が含まれている。
震災と関係のない通常の場合、指定文化財の修復には、国指定で費用の半分以上、県指定で三分の一以上が国や県、市町から補助される。しかし、国、県指定文化財だけで被害総額が八十五億円に達した今回の震災では、国指定文化財で補助率が原則二〇%かさ上げされた。
国指定の場合、国が七〇・八五%、県、市町がそれぞれ一〇・五%を負担。さらに阪神・淡路大震災復興基金からの補助もあり、公的負担分は最大九七・五%の高率となった。県指定でも所有者負担は総額の六分の一程度に抑えられた。
全壊した「旧居留地十五番館」は、必要な費用の九五%が公的に補助され、完全に修復。その他、すべての指定文化財が二〇〇〇年三月までに復旧している。
「未指定」の壁
一方、未指定の歴史・文化的建造物。兵庫県教委によると、約千二百件の調査対象のうち八百件が被害を受けた。その復興過程は、指定文化財とは大きな格差がある。
大正時代の建造物として高い評価を受けていた「第一勧業銀行神戸支店」(神戸市中央区)は、貴重な石柱など、すべての部材が廃棄された。
未指定の補修には通常、公的な補助はまったくないため、県は復興基金を財源に、未指定の建造物に対して修理費の二分の一(最大五百万円まで)を助成する制度を創設。寺社や酒蔵など約三百棟を支援した。
「それでも未指定文化財の三割が、震災から数カ月の間に街から消えてしまった」と、被害調査に当たった県教委文化財行政室の村上裕道さんは悔やむ。
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教訓生かし登録制度
被災地の教訓を生かし、一九九六年、「文化財登録制度」ができた。既成制度では指定を受けにくい近世・近代の多様な建造物を保護するのが狙いだ。
従来は認めていなかった所有者からの申請もできるほか、内部を改造してレストランなどに活用することも可能。登録されると家屋の固定資産税が軽減され、修理の設計管理費も半額が補助される。これまでに全国で二千百二十八件(九百五十五カ所)、兵庫県内では七十一件(二十三カ所)が登録された。
しかし、登録は神戸・阪神地域の四十九件、東播磨の十六件で大半を占め、但馬、淡路地域はゼロ。地域のばらつきが大きい。県文化財保護審議会は「制度が普及しているとはいえない」と指摘。歴史文化遺産を発見、活用できる人(ヘリテージ・マネージャー)を養成し、「人材バンク」化することを提言している。 さらに、文化財に関して、分かりやすい言葉で市民に説明する「地域文化財解説員」の育成も目指す。いわば、専門家と市民の懸け橋役。欧米諸国では、学校や地域で活躍しているという。
全国的にも有数の文化財を保有する兵庫県。二十一世紀を前に、文化財行政は新たな曲がり角にある。「保護から活用へ。歴史文化遺産を生かしたまちづくりを進めたい」と県。この理念をどう具体化し、遺産を未来へつなぐか。震災を教訓に、模索は続く。
2000/11/17