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地域金融のあした 第1部 震災が生んだ銀行

(1)みなとへの軌跡 金融危機に揺れた8年
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曲折 被災地の苦闘を反映

 神戸の旧居留地にそびえる三井住友銀行神戸本部。三階大会議室に巨大な絵画が掛かる。神戸出身の巨匠、小磯良平の大作「働く人びと」。描かれたのは一九五三(昭和二十八)年。当時、兵庫の金融の要だった旧神戸銀行に買い取られ、本店営業部を飾った。

 その絵が現在の大会議室にかかるまでの歴史は、絵が見つめ続けてきた合併の歴史にそのまま重なる。

 神戸銀が全国展開をにらみ旧太陽銀行と合併した昭和の「太陽神戸」時代。世界に飛躍しようと旧三井銀行と合併した平成の「さくら」時代。そして金融ビッグバンの激流の中「三井住友」に姿を変えた。

 が、遺伝子は残る。OBらは、今も壁の絵を眺め、「働く人びと」とともにあった神戸銀に思いを寄せる。

 二〇〇二年十一月中旬、神戸市内のホテルで旧さくら銀のOB会が開かれた。壇上には三井住友銀会長の岡田明重、頭取の西川善文。合併から一年半、待ったなしの不良債権処理で厳しい経営が続く。乾杯のあいさつで岡田は呼び掛けた。「奮闘する現場を励ましてほしい。そして、みなと銀行を応援して、地域に密着した立派な銀行に育てていただきたい」

 みなと銀。震災前には存在すらなかったが、今、三井住友銀の傘下にある。そこへの道のりは、被災地の苦闘そのままに、嵐の連続だった。

 日本中が熱病にかかった八〇年代後半のバブル経済。そして一転、奈落に落ちていった九〇年代。資産価格の急落は「不良債権」という名の活断層に、巨大なエネルギーを蓄積させ、日本経済に激震を生んだ。震源地の一つが神戸だった。

 阪神・淡路大震災のつめ跡が生々しい九五年八月、第二地銀トップの兵庫銀行と、大阪の信用組合最大手・木津信用組合が同時破たんする。第一次金融危機。「銀行はつぶれない」という神話が崩壊した瞬間だった。

 その後、当時の大蔵省の指導の下、震災復興を目的に設立した受け皿の「みどり銀行」は、北海道拓殖銀や山一証券が消滅した九七年の第二次金融危機で行き詰まり、九九年四月、阪神銀行と合併、みなと銀になった。

 揺れは収まらなかった。九八年に再燃した第三次金融危機は、長銀、日債銀を破たんに追い込み、さくら銀は住友銀との合併に生き残りをかけた。そして、〇〇年六月、今度は、みなと銀を傘下に納める。

 「震災がなければ、だれも想像すらできなかった構図」。渦中に身を置いた元さくら銀副頭取で、みどり銀の頭取を務めた米田准三さえ、「歴史の不思議」と表現する。

 「地域には地元に本店を置く強力な銀行が必要だった。道は遠いが、方向は正しい」。被災地経済の混乱を目の当たりにしながら、地域金融の再生に動いた前知事の貝原俊民は、激しく塗り変わった被災地の地域金融の八年を振り返った。

 「私たちは今、第二創業期にある。過去にとらわれず、柔軟な発想でベストを尽くそう」。仕事始めの一月六日。みなと銀頭取の西村忠〓は幹部職員にこう訓示した。

 神戸生まれ。旧神戸銀に六三年入行後、さくら銀副頭取まで務め、〇二年六月にみなと銀の二代目頭取に就いた。営業力強化へ支店に人材を移し、半年で黒字回復のめどを付ける手腕をみせた。

 「うちへの期待は大きく、それだけ責任は重い」。四月で誕生から四年。名実ともに「県民銀行」を目指す西村。決して口には出さないが、視線の先には、かつての「神戸銀行」復活がある。

 震災から八年。被災地経済の再生の道のりが厳しくなった理由の一つに、大震災にも等しい地域金融の相次ぐ破たんがあった。兵庫銀、そして復興を担って誕生したみどり銀の紆余曲折(うよきょくせつ)は、日本の金融行政が大転換機を迎える中での生き残りの模索でもあった。

 シリーズ「地域金融のあした」。第一部は、震災が生んだ銀行の八年から、被災地経済の課題を探る。

(加藤正文)=敬称略=

(注)〓は「しめすへん」に「喜」

メモ

神戸銀行

 政府の「一県一行主義」の方針に沿って1936年、兵庫県内の「三十八」「神戸岡崎」「五十六」などの7行が大同合併して誕生した。兵庫県の中核銀行として高いシェアを誇った。高度成長期に全国展開し、73年に下位の太陽銀と合併、太陽神戸銀になり、その後、合併を繰り返し、さくら銀、三井住友銀になった。

2003/1/15

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