阪神・淡路大震災は、地域や家族との関係を見つめ直すきっかけにもなった。不自由な生活の中で支え合いながら関係を深めていった人がいた一方で、それまで意識しなかった夫婦のあり方や自分の存在意義に疑問をもった女性も多かった。そんな彼女たちの声から、十年をたどってみたい。
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「被災したしゅうとめと同居したら『あなたは嫁なんだから』って、当然のように私をこき使う」「避難所にいるおじいさんが、おばあさんを怒鳴り散らしている」
女性問題に取り組んでいた市民グループ「ウィメンズネットこうべ」代表・正井礼子さんの元には、震災後まもなく、こんな電話が次々とかかってきた。
「震災で『家族のきずなが深まった』という報道とズレを感じた」という正井さんは、二カ月後、女性のための電話相談を開設した。徐々に夫婦関係、特に夫からの暴力に悩む声が増え、翌年六月までに受けた百三十七件のうち、夫の暴力に関するものが二十二件に上った。
その中に、自宅が焼失し、十年のローンが残って酒浸りになった夫から毎日、殴りけられるという電話があった。セックスも強要される。それでも「がまんできない私はわがまま」と自分を責める妻。弱い立場の女性にしわ寄せがきていると、やるせなかった。
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県立男女共同参画センター(当時・県立女性センター)にも、生活が落ち着き始めた春ごろから、人間関係についての相談が相次いだ(グラフ参照)。その大半は夫婦の問題。夫への不信感が噴出した。
「震災がドメスティック・バイオレンス(DV)を表面化させるきっかけになったのでは」と、神戸市看護大学教授の高田昌代さんはみる。
大切な人や家、仕事を失った苦しみ。そしてプライバシーのない避難所暮らし。「でも震災によるストレスで、DVが増えたのは仕方ない、という解釈は、暴力容認につながる」と警告する。
DVの根本には、夫が妻を支配する手段として暴力を使う構造がある。ささいなことでも原因となる。その顕著な例として震災をみた高田さんは、弁護士やカウンセラーらと一九九八年に「日本DV防止・情報センター」を設立。神戸から全国に情報発信している。
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震災でDVについて詳しく知ったことから、自力で生きる道を選んだ女性もいた。震災の翌年、二十年余りの結婚生活に終止符を打った佳子さん(仮名)もその一人だ。
結婚直後から銀行員の夫は、毎日のように暴力をふるった。被災した阪神間に住む実母の介護のために夫と別居を始めたところ、生活費を渡さなくなり、言葉による暴力もエスカレート。逆に踏ん切りがついた。
今は二十五歳になる長男と二人暮らし。環境の急変が影響したのか、高校を不登校で中退した長男は、ずっと働いていない。佳子さんが保育士のパートでなんとか生活を支えている。
「震災がなければ家族の“形”だけは保っていたかも。でも今は、自分のために生きていると実感できます」
2005/1/20