「1・17」が巡ってきた。阪神・淡路大震災は17日で発生から丸15年。復興区画整理事業や再開発は最終盤に入り、新しい街並みに、6434人もの犠牲者が出た痕跡を見つけるのは難しくなっている。しかし、あの人は確かにこの町に生きた。だから、一途(いちず)にこの町で祈りをささげる遺族がいる。(西尾和高、安藤文暁)
亡き人の「この町」で
神戸市長田区のJR新長田駅南地区。再開発で、28棟のビルやマンションが立ち、かつての下町は一変した。
「1人になった15年は早いようで、長かったわ」。駅近くの大正筋商店街で、妻好美さん=当時(57)=を失った無職佐向(さこう)信久さん(76)は話す。
同商店街で総菜店を営んでいたが、店舗兼住宅は全壊。早朝から仕出しの準備をしていた夫婦は生き埋めになった。信久さんはどうにか外に逃れたが、好美さんの姿がない。大声で呼びかけたが、返事はなかった。間もなく猛火が迫った。焼け跡で焼骨を拾うことしかできなかった。
信久さんは2年後、脳梗塞(のうこうそく)で倒れ店を畳んだ。夫婦の故郷・和歌山に家を建て墓地も買った。「もう帰ろう」と何度も考えた。しかし、そのたびに、笑顔でよく働く妻の姿が頭に浮かんだ。「そばにいるような気がして離れられなかった」
今は、商店街沿いにある市営住宅の13階に暮らす。「ここは妻と精いっぱい生きた町。最後までここに住みたい」。17日は自宅から妻の亡くなった場所へ手を合わせる。
昨秋、土地区画整理が完了した淡路市富島地区。鮮魚店経営田中和良さん(54)は17日、慰霊法要が毎年営まれる地元の興久寺で、父禎一さん=当時(78)=をしのぶ。
木造2階建ての店舗が全壊し、1階にいた禎一さんは梁(はり)の下敷きになった。車で病院へ搬送中、息を引き取った。
町は碁盤の目のように整備されたが、住民が減り、なじみ客も減った。家族4人で富島を出ることも考えたが「父と切り盛りしてきた店がある」と、とどまった。
興久寺も震災で全壊し、本堂はプレハブのまま。「仮設の寺だけど、質素なたたずまいが心を落ち着かせてくれる。静かに手を合わせられる唯一の場所」
今月末、高校教諭の長男(32)が結婚する。「幸せになれるよう見守って」と語り掛けるつもりだ。
◆
各地で追悼式
阪神・淡路大震災の発生から丸15年となる17日、被災地では多くの追悼行事が開かれ、終日、鎮魂の祈りに包まれる。
神戸市は遺族や市民らと連携し、神戸・三宮の東遊園地で「阪神淡路大震災1・17のつどい」を開催する。竹筒の中でろうそくをともし、午前5時46分に黙とう。午後9時まで記帳や献花を受け付ける。
兵庫県などは午前11時45分から、同市中央区の人と防災未来センターで「1・17のつどい-阪神・淡路大震災15年追悼式典」を開く。別会場で遺族らを招き催される式典には、鳩山由紀夫首相が現職総理としては10年ぶりに出席。皇太子さま、皇太子妃雅子さまも出席される。(石崎勝伸)
2010/1/17