15年前のあのときを思い起こしたい。大きな揺れの後、どんな光景が広がっていたか。何におびえ、何に憤っていたか。そして何を求めていたか◆あのとき道路は寸断され、至る所で渋滞が生じたが、時間とともに物資が港から届き始めた。政府が動き、自衛隊が出動した。全国各地の警察や消防が救援、救出活動に取り組んだ◆たくさんのボランティアが駆けつける。医師や看護師が治療に当たる。ヘリでけが人を搬送する。水道局の給水車が水を運ぶ。確かに、社会の仕組みは不十分だったが、多くの人が自分の判断で動いた。わたしたちは決して、孤立していなかった◆そして今、中南米のハイチに目を転じたい。もとより政府の機能が弱く、国連部隊が平和維持活動に当たっていた国である。大地震の後、被災地に警察官の姿はない。空港や港の被害はひどく、医薬品はもちろん水も食糧も底を突こうとしている◆遺体と負傷者が道路にあふれる。救出を待つ人の生存率が急減する「発生後72時間」は過ぎた。日中の気温は30度を超え、感染症発生の危険性が高まる。何の情報ももたらされずデマや怒号が飛び交う。人々は孤立感と絶望感を深め、きょうを生き抜くための略奪行為が広がりつつある◆地震で家族や財産を失い、将来を絶望する気持ちは同じだ。救援団体の呼びかけに耳を傾け、日本政府を動かしたい。震災15年、わたしたちの経験が試されている。
2010/1/17