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鈴木商店が最盛期にあった1907年から22年にかけて整備された(右手前から奥へ)新港第1~4突堤。神戸の繁栄は港から始まった=神戸市中央区、ホテルオークラ神戸から(撮影・田中靖浩) 神戸製鋼所 佐藤廣士相談役 帝人 鈴木純社長 双日 佐藤洋二社長
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鈴木商店が最盛期にあった1907年から22年にかけて整備された(右手前から奥へ)新港第1~4突堤。神戸の繁栄は港から始まった=神戸市中央区、ホテルオークラ神戸から(撮影・田中靖浩)

神戸製鋼所 佐藤廣士相談役

帝人 鈴木純社長

双日 佐藤洋二社長

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鈴木商店が最盛期にあった1907年から22年にかけて整備された(右手前から奥へ)新港第1~4突堤。神戸の繁栄は港から始まった=神戸市中央区、ホテルオークラ神戸から(撮影・田中靖浩) 神戸製鋼所 佐藤廣士相談役 帝人 鈴木純社長 双日 佐藤洋二社長

鈴木商店が最盛期にあった1907年から22年にかけて整備された(右手前から奥へ)新港第1~4突堤。神戸の繁栄は港から始まった=神戸市中央区、ホテルオークラ神戸から(撮影・田中靖浩)

神戸製鋼所 佐藤廣士相談役

帝人 鈴木純社長

双日 佐藤洋二社長

  • 鈴木商店が最盛期にあった1907年から22年にかけて整備された(右手前から奥へ)新港第1~4突堤。神戸の繁栄は港から始まった=神戸市中央区、ホテルオークラ神戸から(撮影・田中靖浩)
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 明治、大正期の神戸を拠点に日本最大の商社となった鈴木商店。番頭金子直吉と店主鈴木よねが、驚異的な成長をけん引した。昭和初期の金融恐慌で破綻したが、60社を超える関連企業を育て日本のものづくりの礎を築いた。鈴木は何を残したのか。連載初回は鈴木の流れをくむ鉄鋼メーカー神戸製鋼所と化学繊維大手の帝人、総合商社双日の3社トップが語った。(高見雄樹)

 ■神鋼・佐藤氏 事業開拓を積極的に

 ■帝人・鈴木氏 新しいもの常に探究

 ■双日・佐藤氏 鋭く先読む姿勢原点

 「平気でよその領域に出て行って新製品を作る。金属材料や機械のデパートみたいに事業が広がったのは、商社の遺伝子ですね」

 神戸製鋼所(神戸市中央区)相談役の佐藤廣士(ひろし)さん(70)は、自社の歴史に鈴木商店の精神を重ねる。

 神鋼の創業は1905(明治38)年、鈴木による神戸・脇浜の小林製鋼所の買収にさかのぼる。金子が信頼する田宮嘉右衛門を派遣。失敗を繰り返しながら、鉄材の製品化にこぎ着けた。

 いま、国内外の鉄鋼メーカーが合併で巨大化する中、神鋼は規模は小さいが、アルミや銅、チタンなど事業の幅広さで存在感を示す。「鉄とアルミを組み合わせて自動車を軽くするなど、先端技術に1社で対応できる」と佐藤さんは胸を張る。

 帝人(東京)は、日本で初めて人絹(レーヨン)を製造する帝国人造絹糸(けんし)として18(大正7)年に設立。金子が2人の研究者の実験段階の技術に目をつけ、実用化に先鞭(せんべん)をつけた。「新しいものや技術にチャレンジし続けるのが、創業以来の精神」と社長の鈴木純さん(58)。

 山形県米沢市の工場建設などに投じた資金は「いまの感覚では数百億円」と鈴木さんも驚く。「第1次世界大戦で世界景気が不透明なとき、逆に『行け』だからね。なかなかできない判断です」

 投資のために膨大な借金を抱え、鈴木商店は27(昭和2)年に破綻した。直後に元社員らが立ち上げた日商をルーツとするのが双日(東京)だ。

 社長の佐藤洋二さん(66)は、鈴木が情報を収集・分析して新事業に投資した点に着目する。「当時は近代化が急速に進む激動期。鈴木の手法は日本の商社経営に大きな影響を与えた」

 資源価格の急落など激しい経営環境の変化に見舞われる中、「鋭く先を読む商社の原点を大切にしたい」と佐藤さんは話す。

 金子直吉は「生産こそ最も尊い経済活動」という信念で、未踏の事業に投資を続けた。それが世紀を超え、実を結んでいる。

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2016/4/8
 

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