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「花火御座候て、御見物に御出くだされるべく候」。花火見物を誘う江戸期の書簡のコピー
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「花火御座候て、御見物に御出くだされるべく候」。花火見物を誘う江戸期の書簡のコピー
石野茂三館長が発行した江戸-明治期の小野市の花火をまとめた冊子=小野市立好古館
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石野茂三館長が発行した江戸-明治期の小野市の花火をまとめた冊子=小野市立好古館

 江戸時代の兵庫県小野市にも花火大会があった-。小野市立好古館(同市西本町)の石野茂三館長が、同市王子町の大池周辺で江戸-明治期に花火大会が開催されていたことを調査で明らかにし、関連資料の解説冊子を発行した。今年、市内で3年ぶりに開催予定の「小野まつり」を前に、石野館長は「昔の小野から続く伝統行事の歴史を知ってほしい」と語る。(杉山雅崇)

 市内外に存在する小野市に関連した古文書を長年解読してきた石野さん。以前見つけた「花火」に関連した資料を本格的に調べたところ、江戸期の花火大会の存在に気付いた。

 該当の古文書は、現在の小野市本町付近に住んでいた有力町人「年寄」だった茂兵衛(もへえ)という人物が、現在の同県加東市の住民に出した書簡。「(旧暦)八月三日に大池にて花火御座候(ござそうろう)て、御(ご)見物に御出(おいで)くだされるべく候」と、知人を花火見物に誘う内容だった。

 茂兵衛が年寄として活動していたのは1819~40年で、少なくとも1800年代前半の江戸期に花火大会が実施されていたことが分かるという。

 1881(明治14)年の資料には花火開催の許可願いが記されていた。同年の花火大会に向け、市内の士族らが兵庫県令(現在の知事)に「王子村大池煙火打物(打ち上げ花火)」の許可を求めた。

 午後4時を開始時間とし、流星打ち上げ花火「開音雷鳴」から始まり、夜の部は「星降」「雲間ノ月」「双龍」などと名付けられた花火を打ち上げ、最後は「満天滴」で締めくくる-と説明している。石野館長は「満天滴は今でいうナイアガラかもね」と楽しげに推測する。

 明治期の花火大会の開催日は新暦8月29日。江戸期の推定開催年月日を新暦に変換すると、同じ日に開催していることになる。石野館長は「時代の隔たりはあるが、何らかの意味を込めて同日開催にしているのかも」と分析。「いずれの時代も不作や増税で暗い世相だった。打ち上げ花火は庶民でも見物できたはずで、小野を元気づけようと各時代の人たちが企画していたのでは」としている。

 冊子は同市立好古館で31日まで閲覧できる。A4判5ページ。同館TEL0794・63・3390

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