総合 総合 sougou

  • 印刷
取材に応じた暴力団組員の男性から届いた手紙
拡大
取材に応じた暴力団組員の男性から届いた手紙

 「反社(はんしゃ)」-。芸能人の闇営業問題などを通じ、「反社会的勢力」の略語として広く知られるようになった言葉だ。その弊害や注意喚起が叫ばれ、新型コロナウイルスが社会を揺るがす中でも、反社が関わる犯罪は後を絶たない。背景には、反社に加わる若者の存在がある。なぜ彼らは裏社会に身を置くのか。過去の取材ノートから、あるヤクザの若者の話を紹介する。

 2018年秋、大阪拘置所。刑務官に伴われ、丸刈りにジャージー姿の男が面会室に現れた。「どうも」。20代後半。中背で、がっしりとした体格。収監中の身だが、山田健児=仮名=は現役の暴力団組員だ。

 組員の減少や高齢化が指摘される昨今。ヤクザになったいきさつを尋ねた。

 九州の中学を卒業後、自動車関係の専門学校に入ったが、初日に暴力沙汰で退学に。間もなく別の傷害事件も起こして逮捕され、16歳から1年間少年院に入った。少年院を出る際、九州に身元引受人がおらず、母親が移り住んでいた名古屋市で暮らすことになった。

 健児の話では、それから数年で約30人の半グレ集団のトップに上り詰めたという。「金になることなら何でもやった」。資金源の核心に触れないようにしているのか、慎重に言葉を選びながら記憶をたどる。詐欺、窃盗…。建設関係の仕事でも稼ぎがあったという。

 暇があれば、高級外車で夜の繁華街を駆け抜けた。ダッシュボードには200万円の札束。違法カジノが遊び場だった。「考えられないでしょう。20歳そこらのガキがですよ」。健児が鼻で笑った。まるで他人の話をしているかのようだ。

 ある時、事業で700万円の損失を出し、弁済を迫られた。金策に走る健児を見て、仲間はクモの子を散らすように去った。頼ったのが地元の暴力団だった。

 暴力団と一緒に犯罪で稼ぎ、3千万円を手にした。再び仲間は戻ってきたが、「そんな薄っぺらい人間関係に嫌気が差したんです。行き着く所まで行ってやろうと」。それが暴力団だった。当時24歳。覚悟を示そうと、手首から足首まで竜虎などの入れ墨を刻んだ。

 統制の強固な組での生活は、健児には新鮮であり充足感があった。暴力沙汰を起こし、拳に血をにじませ組に戻ると歓迎された。他の組員との食事のひとときも好きだった。「組への愛着がヤクザとして生きる理由の一つ」。そう話した。

     ◆    ◆

 「暴力が、自分の中の深い所に植え込まれているんです」。そう言って、健児は生い立ちを語り始めた。

 小学生の頃、両親と名古屋で暮らしていた。失業した父親は、いら立ちをぶつけるように健児や母親を殴った。仕事を掛け持ちして家計を支えた母はある日、家を出て、1人で郷里の九州へ行ってしまった。父から「母ちゃん、出てった」と聞いた時、すぐにはその意味がのみ込めなかった。

 夕方は嫌な時間だった。放課後、一緒に公園で野球をしていた友達が、日暮れとともに家に帰っていく。滑り台に1人で座り込んで時間をつぶした後、健児も帰宅したが、大抵、家は真っ暗だった。遅い晩ご飯のために自分で米をといだ。

 その後、九州にいる母方の親戚に引き取られた。新しい交際相手がいたためか、母と一緒に暮らすことはかなわず、親戚の家を転々とした。

 そんな生活の中で、健児の支えとなったのが野球だった。周りの子より体格に恵まれたこともあり、少年野球チームでは捕手で主将に。県大会にも出場した。

 中学に入る時、野球を続けるには、大きくなった手に合う新しいグローブが必要になった。しかし親戚宅を転々とし、学校の給食費すら誰に頼めばいいのか分からない。「グローブを買ってほしい」-。その一言が、誰にも言えなかった。

 「あの時、自分の中で何かが崩れた」。野球を諦め、授業にも出なくなった。他校の生徒らを殴っては金を巻き上げ、恐喝や窃盗などを繰り返した。

     ◆    ◆

 ようやく見つけた「居場所」といえる組に強い愛着を持つ健児。同時に、胸のつかえも抱えていた。小学生の長男、次男の存在だ。

 息子たちは、父が海外で働いていると思っている。妻ともども、2人が中学生になるまでは真実を伝えるつもりはないという。

 何度も読み返したという長男からの手紙の一文を、健児がそらんじる。「僕は学校でいっぱい友達ができたから、何も心配しないでね。今は会えないけど、中学になったら会えるね。約束は守ってね」

 「気付けば子どもに、自分が子どもの頃と同じ思いをさせている」。健児の顔がゆがんだ。

 もう一つの“家族”である組も揺らいでいた。

 全国最大の指定暴力団(現在は特定抗争指定暴力団)の山口組(総本部・神戸市灘区)は15年以降、同組と神戸山口組、絆(きずな)会(旧・任侠山口組)の3団体に分裂。各地で抗争事件が相次いだ。健児もその渦中で、対立組織の幹部を見張り、襲撃の機会をうかがったという。

 「相手の事務所の窓ガラスを割るくらいでは意味がない。『行け』と言われれば行ってやる、という気持ちだった」

 だが、その機会は訪れなかった。健児によると、対立組織からの切り崩し工作が激しさを増す中で、資金源を絶たれた。16年、高齢者宅に押し入り、強盗致傷事件を起こしたとして、程なく逮捕された。他の窃盗や詐欺の罪も合わせ、懲役13年の判決が下った。

 「資金獲得戦争に自分は負けた」。眉間にしわを寄せ、健児が続けた。「懲役は、これまでの生き方に対する罰でしょう」

 19年春、健児は拘置所から刑務所へ移された。その後も、暴力団の対立抗争は激化。警察当局も取り締まりを一層強化し、組員は減少の一途をたどる。健児が刑期を終えても、もはや組が残っている保証はない。

【記事リンク】

「反社の若者」~取材ノートから “受け子”

「反社の若者」~取材ノートから “半グレ”

総合の最新
もっと見る

天気(10月26日)

  • 21℃
  • ---℃
  • 0%

  • 21℃
  • ---℃
  • 0%

  • 21℃
  • ---℃
  • 0%

  • 22℃
  • ---℃
  • 0%

お知らせ