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将太君が使っていた野球道具(撮影・辰巳直之)
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将太君が使っていた野球道具(撮影・辰巳直之)

 事件後に報道された「茶髪写真」をきっかけに、インターネットの掲示板で〈ゴミが消えてよかった〉とまで書かれた堤将太君は、事件の背景や交友関係を調べた捜査幹部が「いい評判ばかり」と舌を巻いた高校生だった。

 どんな少年だったのか。

   ■   ■

 将太君は1993年、堤家の4人目の子ども、次男として生まれた。

 「二つ上の兄の後ばかり追いかけていた」と母の正子さん(63)は振り返る。

 口数は少ないが、不思議と人にかわいがられた。

 ソフトボールをやっていた長女の影響か、幼い頃から野球に興味があった。小学4年で地元の少年野球チームに入り、中学は野球部で活躍した。

 真っ黒に日焼けした丸刈り。毎日、素振りや筋トレに励んだ。硬式野球部に入るため入学した神戸弘陵学園高はレベルが高く、入部はあきらめたが、野球への興味は失わなかった。

 学校の教科書はいつまでたっても新品同然。でもプロ野球の選手名鑑はぼろぼろになるまで読み込んだ。

 興味がバイクや車に広がったのは高校1年のときだ。高2の夏休みには、電気工事業を営む父の仕事を手伝った。職人たちともすぐに打ち解け、「おとんの仕事を継ぐのもいいかもな」と言うようになった。

 父の敏さん(61)はその言葉がうれしかった。

 司法解剖が終わった10月6日、家族全員が神戸大医学部へ迎えに行った。

 一緒に家に帰ったのは深夜だったと思う。「将太が帰ったで!」。玄関で大きな声を上げた。

 その夜。父、母、長男、長女、次女、そして将太君の家族6人は狭いリビングに床を並べ、一緒に寝た。

   ■   ■

 事件後、ネットの掲示板などで〈不良仲間〉とひとくくりにされた友人たちも、外見と中身は違っていた。

 何度も自宅を訪ね、両親を励ました。通夜には600人が訪れ、10月10日の誕生日も祝ってくれた。

 仲の良い友人らと父が深く語り合ったのは、事件後が初めてだった。

 高校に入って髪を染め、やんちゃになった次男を心配していたが、「うらやましいほどいい仲間を将太は持った」と思った。

 遺骨は10年たった今も自宅にある。リビングの棚には将太君の写真と、大好きだったコーラが並ぶ。心の整理はつかない。

 生きていれば、あすで27歳になる。

 「あいつはね、きっと家にいたと思う。本当に地元が好きだった。もし仕事を継いでいたら、心配で僕もおちおち引退できへんかったと思うわ」と父は言う。(西竹唯太朗)

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