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神戸空襲慰霊碑の前であいさつする在りし日の中田政子さん=2018年6月、神戸市中央区
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神戸空襲慰霊碑の前であいさつする在りし日の中田政子さん=2018年6月、神戸市中央区
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神戸空襲慰霊碑の前であいさつする在りし日の中田政子さん=2018年6月、神戸市中央区
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神戸空襲慰霊碑の前であいさつする在りし日の中田政子さん=2018年6月、神戸市中央区

 太平洋戦争末期の米軍による神戸空襲の記憶を伝える市民団体「神戸空襲を記録する会」(事務局・神戸市灘区)の前代表で、空襲で亡くなった人の特定や慰霊碑の建立などに尽力した中田政子(なかた・まさこ)さんが26日午前、病気のため死去した。75歳だった。自宅は非公表。葬儀・告別式は親族のみで済ませた。同会関係者らが後日、お別れの会を開く予定。

 1997年から22年間、同会代表を務め、国や自治体も未把握だった空襲犠牲者の情報を会で集め、享年や被災日、死亡場所などを公開。8千人以上とされる名簿の作成にまい進した。空襲跡を巡る「戦跡ウォーク」なども企画した。

 米軍B29爆撃機による無差別爆撃が本格化した1945(昭和20)年、中田さんを身ごもっていた母は、神戸市西部が標的となった3月17日の空襲で焼夷弾が降り注ぐ中、兵庫運河にかかる大輪田橋まで逃げた。そこで、当時1歳だった姉の弘子さんは爆風で吹き飛び、帰らぬ人となった。

 「遺体も見つからない姉が、この世で懸命に生きたことを神戸のまちに記したい」。母から惨状を聞いて育った中田さん。71年の同会発足時から世話人だった母の遺志を継いだ。

 中田さんは語り部として、子どもたちに母の体験を語った。同会事務局長の小城智子さん(69)は「いつも涙ながら。穏やかで力強かった。戦争の記憶と命の大切さを若い人にどうやって伝えようか常に考えていた」と振り返る。

 神戸空襲の悲劇を次代に継承した同会は2006年、神戸新聞社会賞を受けた。13年には犠牲者名が刻まれた慰霊碑を神戸市中央区の大倉山公園に建立。中田さんは除幕式で「戦争を繰り返してはならないという、たくさんの人の願いが集まってできた」と述べた。

 19年に中田さんから代表を引き継いだ高校教諭の岡村隆弘さん(61)は支柱を失い、「戦跡ウォークや慰霊祭、犠牲者の刻銘など、いつも皆さんのホスト役として笑顔で気遣いを忘れない人だった」と惜しんだ。(佐藤健介、貝原加奈)

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