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妹の塩崎つぼみさんの写真や携帯電話を前に後悔の念を語る水口章子さん=宝塚市(撮影・坂井萌香)
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妹の塩崎つぼみさんの写真や携帯電話を前に後悔の念を語る水口章子さん=宝塚市(撮影・坂井萌香)

 毎年のように水害や土砂災害が起き、列島各地で警戒が続く中、昨年7月の九州を中心とした豪雨災害で、熊本県八代市に暮らす妹を亡くした水口章子さん(71)=兵庫県宝塚市=は、自責の念を抱き続ける。常日頃、「災害の時は家にいて」と伝えていた妹は、水に漬かった自宅の中で亡くなっていた。最後の会話となった電話で、首まで水に漬かった妹は「もう駄目みたい…」とつぶやいた。その言葉が今も耳から離れない。(堀内達成)

 水口さんの妹、塩崎つぼみさん=当時(68)=は幼稚園の時、自転車と衝突する事故に遭い体が不自由だった。障害者手帳を持ち、背中が曲がり、足も引きずっていた。八代市坂本町の自宅兼商店でたばこなどを売って暮らしていた。

 昨年7月4日午前4時50分、熊本と鹿児島県で大雨特別警報が発令された。その直後の午前6時ごろ。眠っていた水口さんのスマートフォンが鳴った。塩崎さんからだった。

 「なんかあった?」。大変な事が起きているとは思わず、のんきに答えた。「水流が激しい」と助けを求める声に状況を察した。すぐそばの球磨(くま)川が氾濫していた。「どっか高いところ上れ。台所のテーブルはどう。流し台の上は。助けを呼ぶから待ってて」

    ◆

 水口さんはすぐにスマホと自宅の電話で八代市の消防や警察などに電話をかけた。あちこちで被害が出ているとみられ、「助けて」と頼み込んでも、動いてくれない。消防は「屋根の上で手を振ってくれたら助けられるかもしれない」と告げたが、障害がある塩崎さんには無理だった。

 午前8時前、再び塩崎さんに電話をかけた。「誰も来ない。もう駄目みたい」と力なく話す塩崎さんを「そんなこと言わんとって! なんとか助けを呼んでるから!」と励ました。

 3日後、塩崎さんは両親の仏壇のそばで横たわっている姿で見つかった。家はほぼ水に漬かっていた。

    ◆

 阪神・淡路大震災を経験した水口さんは塩崎さんに、災害時は自宅にとどまるよう伝えていた。塩崎さんの体では水が流れる道を逃げることは難しく、人が多い避難所では塩崎さんをすぐに見つけられないかもしれないと思ったからだ。

 八代市の実家は過去に水害に遭ったことはなく、20年ほど前、塩崎さんのために平屋に改修していた。2階部分の下敷きになる心配はなかった。

 水口さんは、塩崎さんが豪雨の3日ほど前、電話で「水害の時は外に逃げよ」と伝えた親族に「私は家におると」と話したと聞いた。「私がしょうもないこと言うた」と涙をぬぐう。

 死亡診断書の死亡時刻は4日午前8時。最後の電話から間がなく、「長い時間、苦しんでなかったのならせめてもの救い」という。

 災害から1年。気持ちの整理はまだまだつかない。水口さんは「なんであんた写真の人になったん? なんでなんで?って毎日問いかけてます」。

■おいっこやめいっこに、か細い声で

 塩崎つぼみさんの遺体が見つかってから1カ月ほど後、自宅内にたまっていた土砂の中から塩崎さんの携帯電話が見つかった。

 その中には塩崎さんが、熊本県八代市内に暮らすおいっこやめいっこたちに助けを求める音源が3件残っていた。操作ミスか何かで、偶然会話が録音されていたようだ。

 時間はいずれも1分程度で、塩崎さんがか細い声で「(水が)もう胸のところまで」などと訴えている。パニックにならず、冷静な様子だ。姉の水口章子さんは「音声が残っていてびっくりした。でも、助けらへんかったから聞くのがしんどくて」とうつむく。

 自宅からは他に金色のネックレスや指輪なども見つかった。「妹はいつもにこにこして文句も言わず、何も欲しがらなかった」と水口さん。宝飾を持っていることは意外だった。形見のネックレスは今、自らが身に着けている。

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