「岩手県花巻川口町 宮澤賢治宛」。三木露風の直筆メモを調べていた日本大元教授の近藤健史さんは、この文字を読んで驚いた。露風は宮沢賢治の7歳年上で同時代を生きた詩人同士だが、研究者の間でも接点がないと思われていた。賢治の詩集の献本を巡り、交流が分かった2人。経緯は未解明だが、近藤さんは「私も岩手出身。偶然の発見に興奮した」と話している。
詩集「春と修羅」の発行日は、1924(大正13)年4月20日。露風の手紙はその5日後の日付だ。賢治は刊行直後に献本し、露風はすぐに返信したらしい。近藤さんは「賢治の初の詩集に対する意気込みと、露風のきちょうめんな性格がうかがわれて興味深い」と話す。
露風は当時、北海道の「トラピスト修道院」に講師として赴任中だったが、前年の23年末からノイローゼ気味となり、24年には納得のいかない人事があって同年6月に辞職している。本が届いたのはその直前だった。
初版本は、出版時にはほとんど売れなかった。価値の低い「ゾッキ本」として市中に出回り、後に高い評価を得る詩人・中原中也(1907~37年)が入手して大きな影響を受けたが、中也は当時まだ10代の学生だった。
賢治の同郷の親友で童話「セロ弾きのゴーシュ」のモデルとも言われる藤原嘉藤治でさえ「当時果たして何人に読まれ、或は受読され、味読、理解されたことか(中略)序文にでくわして、お手あげ、後は読んでもわからないのが普通」と後年に振り返っている。
近藤さんがメモを発見したのは偶然だった。現在の宍粟市に拠点を置いた「山崎新聞」に露風が寄稿していた作品を研究するため、露風のノートを読んでいて見つけたという。
ただ露風が受け取った「春と修羅」の実物は未発見で、賢治側でも露風の手紙は見つかっていない。
近藤さんによると、嘉藤治は1915(大正4)年に詩を雑誌に投稿し、選者の露風が「温かな情緒があつて心を牽く」として佳作に選んでいる。近藤さんは「嘉藤治を通じた縁があったのかもしれない。今後研究していきたい」と話す。
近藤さんは露風と山崎新聞関連の研究成果を来年にも出版する予定という。(直江 純)
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