明治時代に東経135度が日本の標準時に設定されてから今年で135年。135度線が通る兵庫県の「時のまち」明石では、この節目に合わせてイベントなどが企画されているが、そもそも、なぜ135度が標準時となったのか。首都、東京ならば140度近辺を通るし、国土の東端と西端の中間をとれば、おおよそ138度になる。あえて135度とした理由は-。(小川 晶)
標準時が定められたきっかけは、1884(明治17)年10月に米国・ワシントンで開かれた国際子午線会議にさかのぼる。経度と時刻制度の国際的な統一を目的に、日本を含む26カ国の代表者が参加。当時、多くの船舶が海図の基準として使用していた、英国・グリニッジ天文台を通る子午線を0度とする方針が決まった。
明石市立天文科学館の鈴木康史学芸員によると、この会議では「経度を15度隔てるごとに、1時間ずつの時差を持つ時刻を使用する」という取り決めもなされたという。
地球は、1日24時間で1周(360度)するので、1時間当たり15度動くことになる。グリニッジ子午線との時差を時間単位で表せるようにするため、各国の標準時は15の倍数の子午線とする、との内容だ。
鈴木学芸員が解説する。「例えば、各国が首都の位置を標準時とした場合、時差を出すのに秒単位の調整が必要になるだけでなく、首都のどの場所を基準とするかでもめる可能性もある。決められた子午線を基準にしてしまえば、混乱を招くこともないと考えたのだろう」
日本の国土周辺でこの基準に該当するのは、東経120、135、150度の3本。日本政府は86(明治19)年7月、この中から、国土のほぼ真ん中付近を通る135度を標準時として設定した。「明石があったから135度が標準時になったわけではなく、135度線にたまたま明石が位置していたというのが真相」と鈴木学芸員は話す。
以来、東経135度は日本の標準時として運用されてきたが、現在の正式名称は「中央標準時」という。国立天文台天文保時室によると、標準時の採用から10年後の96(明治29)年、日清戦争で得た台湾などの領土を対象に、東経120度の「西部標準時」を新たに採用し、区別する必要があったためだ。
さらに第1次世界大戦後、南洋諸島が日本の委任統治領になると、東経135度を「南洋群島西部標準時」とし、150度を同中部標準時、165度を同東部標準時と設定。一時、日本の領土内に五つの標準時が共存していたことになる。
第2次世界大戦後は、中央標準時のみが残ったが、「中央」の呼称はそのまま引き継がれた。同室によると、「中央」を除こうとする動きは現時点でないといい、かつて日本国内に時差があった証しのように今も残っている。
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