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「音楽でも患者を癒やせる医師になりたい」と話す沢田蒼梧さん=神戸市中央区、神戸新聞松方ホール(撮影・吉田敦史)
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「音楽でも患者を癒やせる医師になりたい」と話す沢田蒼梧さん=神戸市中央区、神戸新聞松方ホール(撮影・吉田敦史)
8月の松方ホール音楽賞では奨励賞に。実力の片りんを見せた=神戸新聞松方ホール(撮影・吉田敦史)
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8月の松方ホール音楽賞では奨励賞に。実力の片りんを見せた=神戸新聞松方ホール(撮影・吉田敦史)
松方ホール音楽賞のピアノ部門で奨励賞に選ばれた沢田蒼梧さん=神戸新聞松方ホール(撮影・吉田敦史)
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松方ホール音楽賞のピアノ部門で奨励賞に選ばれた沢田蒼梧さん=神戸新聞松方ホール(撮影・吉田敦史)
松方ホール音楽賞のピアノ部門で奨励賞に選ばれた沢田蒼梧さん=神戸新聞松方ホール(撮影・吉田敦史)
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松方ホール音楽賞のピアノ部門で奨励賞に選ばれた沢田蒼梧さん=神戸新聞松方ホール(撮影・吉田敦史)

 世界三大コンクールの一つで、10月にポーランドで開かれる「ショパン国際ピアノコンクール」に、医師と奏者の「二刀流」を目指す日本人が出場する。名古屋大医学部5回生の沢田蒼梧さん(22)=愛知県半田市=で、7月の予備予選を突破し、87人の出場者に名を連ねた。新型コロナで1年延期されての開催だが、「準備時間を長く持てたのが好結果に結びついた。歴史ある舞台で、優秀なピアニストと演奏できるのが楽しみ」と抱負を口にしている。(津谷治英)

 1927年に創設され、5年に1回開かれる世界有数のコンクール。著名なピアニストを生んできたことで知られる。日本人は37年に神戸市須磨区出身の原智恵子さんが特別聴衆賞を受賞。以後、中村紘子さん、小山実稚恵さんら12人が入賞している。今年は10月2日に開幕。1~3次の予選を経て本選で入賞を競う。

 沢田さんは幼少のころぜんそくに苦しんだ。親身になって心配してくれた主治医に出会い、医師に憧れるきっかけとなった。

 一方、母のピアノに触れたのを機に小学1年から本格的に鍵盤に向き合い始めた。だが中学校の時、ピアノの練習に部活や友人と過ごす時間を奪われることに疑問を感じたこともある。

 吹っ切れたのは中2の時、コンクールで入賞し、関連の合宿で同年代の奏者と出会った。「実力のある友だちから刺激を受けた。また彼らと一緒に演奏したい」と再び音楽に向かった。

 高校入学後は、2005年のショパン・コンクール4位の関本昌平さんの指導を受け、学業の合間に練習を続けた。海外の大会にも出場。ドイツから帰国する際の空港ロビーで、誰でも気楽に弾けるストリートピアノを奏でた。初めて会う外国人から拍手を受け、「うれしくて、人前で弾くことが楽しくなった」。

 成績は優秀で、迷わずに医学部を志す。周囲には東京大を薦める声もあったが、「家を出るとピアノがなくなり、練習ができなくなる」と、あえて地元の大学を選んだ。

 今は年数回の演奏会に臨む。何科の医師になるかはまだ決めていない。だが新型コロナ禍を経験し疫学、公衆衛生学、地域医療の重要性に興味を持つ。5回生の今は病院実習もこなす。

 8月には神戸の松方ホール音楽賞に出場。ショパンの「葬送」を弾いて奨励賞を受賞し、勢いに乗る。10月のショパン・コンクールに向けて、「結果が一番とは考えていない。ピアノを通じて人間として成長したい。将来は医師とピアノを両立し、音楽でも患者を癒やしたい」と誓った。

【ショパン国際ピアノコンクール】 チャイコフスキー国際(ロシア)、エリザベート王妃国際音楽(ベルギー)と並び世界三大コンクールとされる。「別れの曲」「英雄ポロネーズ」「子犬のワルツ」などの名曲を創作し、ピアノの詩人と呼ばれたフリデリク・ショパン(1810~49年)の功績をたたえ、母国ポーランドが1927年に創設。日本人は、第8回(70年)の内田光子さんの2位が最高位。第12回(90年)では横山幸雄さんが3位となり、日本人最年少入賞を果たした。

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