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ミャンマーで住んでいたヤンゴンを指さす男性と妻(左)、娘=神戸市中央区橘通1
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ミャンマーで住んでいたヤンゴンを指さす男性と妻(左)、娘=神戸市中央区橘通1

 ミャンマーの軍事クーデターから7カ月。同国で新型コロナウイルスが猛威を振るう中、日本へ出国した50代の日本人男性と、ミャンマー人の妻、小学生の娘が神戸新聞の取材に応じた。同国の感染状況は統計上改善が見えるが、不明な点も多い。医療体制は崩壊し、妻の父親は呼吸困難で急死したという。神戸市内で暮らし始めた一家は「軍事政権下で医療不安が広がっており、酸素やワクチンの供給など国際的な支援を」と訴える。

 東京で働いていた男性は旅行で訪ねたミャンマーにほれこみ、2008年、最大都市ヤンゴンに移住。現地で出会った妻と4年後、旅行会社を設立した。

 11年には国軍主導の統治体制から選挙を経て民政移管され、この影響で増えた日本人旅行者を中心に業績を伸ばした。娘の誕生にも恵まれた。

 だが昨春、コロナ禍に見舞われた。外国人旅行者が途絶える中、今年2月にクーデターが発生した。

 生活を立て直すため、一家は6月下旬、飛行機で日本へ出国。7月、付き合いのあった認定NPO法人「神戸ミャンマー皆好会」を頼って神戸市に移った。

 ミャンマーでは、7月下旬から新型コロナによる死者の発表が300人以上という日が続いた。現在、感染状況は改善に向かっているように見えるが、多くの患者が自宅療養しているにもかかわらず、そこで亡くなった人は統計に含まれていないとみられる。

 「当局の発表はどこまで信じられるか分からない」と男性は言う。発表されるPCRの検査数が最近急に増え、陽性率が急減したのにも不信感を抱く。

 「ヤンゴンで毎日のように友人や知人が亡くなる状況はなくなったが、地方では死者が増えているような話も聞く。検査もしやすい地域を選んでいるのではないか」

 ■自宅で酸素手に入らず

 「病院で治療を受けられれば、何とかなったかもしれないのに…」

 現地に残した父を失った妻は涙ぐむ。多くの医療従事者が国軍への「不服従運動」で職場を放棄するなど、もともと脆弱だった医療がクーデターで機能不全に陥ったという。

 妻の父は心臓の持病があり、年に数回、酸素吸入をすることがあった。家族で神戸に着いた7月14日、電話で話すと少し調子が悪かった。コロナに感染したかどうかは不明だが、翌日夜には息が「ゼーゼー」となってあまり話せず、そのまま亡くなった。

 妻は「いとこたちが酸素を探し回ったけど、手に入らなかった」と嘆く。自宅療養のための医療用酸素が不足し、コロナ前は1本3千円ほどだったのが10倍以上に高騰。SNSでは、酸素を充てんするために並ぶ市民の様子が投稿された。

 ■現金引き出しも困難

 クーデターは、手持ちのお金が不足する状況も生んだ。ミャンマーは現金社会だが「取り付け騒ぎ」のような状態になり、預金引き出しに制限がかかった。

 男性は未明から11時間ほど現金自動預払機(ATM)に並んだ。ヤンゴンでは夜間外出禁止令が出されており「軍につかまる可能性もあった」と振り返る。

 男性は日本で仕事を探しながら、ミャンマーの社会不安が解消され、再び旅行の仕事ができるようになる日を待つ。「妻の母や兄もいる。何年かかっても帰りたい」。妻も「軍事政権はもう終わりにしてほしい」と祈るように話す。

 一家が日本を目指したのは、小学生の娘のためでもある。ヤンゴンの日本人学校の授業は1年以上オンラインが続き、友達にはほとんど会えていない。

 9月からは神戸市内の小学校に通い始めた。「日本での小学校生活が楽しみ。早く友達をつくりたい」と話している。(森 信弘)

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