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戦前、国家事業として計画されていた広田神社の完成予想図(広田神社提供)
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戦前、国家事業として計画されていた広田神社の完成予想図(広田神社提供)
1941年の広田神社拡張計画の地鎮祭で、巫女役を担った岡田多喜子さん(左)と名田妥佳子さん。「この向きに階段があったね」と昔を振り返る=西宮市大社町の広田神社
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1941年の広田神社拡張計画の地鎮祭で、巫女役を担った岡田多喜子さん(左)と名田妥佳子さん。「この向きに階段があったね」と昔を振り返る=西宮市大社町の広田神社
巫女姿の岡田多喜子さん(広田神社提供)
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巫女姿の岡田多喜子さん(広田神社提供)
巫女姿の名田妥佳子さん(広田神社提供)
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巫女姿の名田妥佳子さん(広田神社提供)
神戸新聞NEXT
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 プロ野球阪神タイガースの選手らが必勝祈願に訪れることで知られる広田神社(兵庫県西宮市大社町)。兵庫県内最古の神社の一つとされ、戦時中には国家事業として大拡張工事が進められていた。空襲で建設中の本殿などが焼失し、敗戦を経て計画は幻となった。当時、地鎮祭で巫女(みこ)役を務めた少女2人が昨年秋、約80年ぶりに再会。戦中の記憶とともに、知る人も少なくなった地域の歴史を今に伝えたいと話す。(小谷千穂)

 広田神社は201年に神功皇后が創建したと「日本書紀」(720年完成)は記す。現在は甲山に接した約5万3千平方メートルの敷地に、本殿や社務所、ツツジが咲く外苑(がいえん)などがある。

最高位に続く格

 明治維新後、政府は全国の神社を格付けし、広田神社は最高位の伊勢神宮に続く「官幣大社」に選ばれた。戦前に全国で68カ所あったが、県内では他に淡路市の「伊弉諾(いざなぎ)神宮」のみだった。

 だが、社殿はさほど大きくなく老朽化も進み、急な石階段は参拝客を困らせていた。氏子らが「官幣大社にふさわしい社殿を」と運動を起こし、国の紀元2600年(1940年)記念行事に合わせ、神社を管轄する旧内務省の神祇(じんぎ)院から社殿建設事業の予算が認められた。

 神社に残された完成予想図には、大きな門を備え、回廊に囲まれた壮麗な本殿、無数の社殿群が描かれている。建物は国の管轄だったが、高低差のあった敷地をなだらかにして広げる整地の作業は、氏子ら民間で担った。41年に地鎮祭が行われた。

 時期を同じくして、太平洋戦争が始まった。戦況は悪化し、完成間近だった本殿は45年8月5日、空襲によって焼失。平らにならされた土地だけが残った。終戦後、国や自治体が宗教的に中立であることを求める政教分離原則により、工事の中止が決まった。

 現在の本殿が再建される63年まで、仮の社殿が続いた。広田神社の嶋津宣史禰宜(ねぎ)は「実現すれば西宮で一番の見栄えになったはずなので残念だが、整地だけは西宮の人たちの手で成し遂げられた。記憶にとどめてほしい」と話した。

80年ぶり再会

 この工事が始まる前の地鎮祭で、巫女役を務めた岡田多喜子さん(90)と名田妥佳子(なだたかこ)さん(90)は、今も神社近くで暮らす。岡田さんが戦争体験を話す場に出たことを機に、地域住民の計らいで昨年10月、約80年ぶりに同神社で顔を合わせた。「全く顔が変わってるよね」と笑い合う。

 大社小6年だった岡田さんと同小5年だった名田さんは、化粧をして着付けをし、式典でくわや鎌を持って土地を耕す身ぶりをした。「訳も分からず一日が過ぎた」と名田さん。計画中止に「戦争が早く終わったら立派な神社ができたのに」と岡田さんは悔やむ。

 戦時中、広田神社は「武運長久」の御利益で有名だった。戦地への召集を伝える赤紙が届いた若者が、県内外から家族とともに参り、多くの人でにぎわったという。岡田さんは「『お国のために』と祈った。その一言で、皆の人生が狂ってしまった」と振り返る。

 8月5日の空襲で母親が自宅の下敷きになりけがを負ったという名田さんは「あの頃を思い出したくない」と語る。「当時の広田神社のこと、町のこと、誰かに伝えなきゃ」-。図らずも地域の歴史に関わった少女らは、今も思いを持ち続ける。

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