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1898(明治31)年2月11日付の神戸新聞第1号。1面に「発刊の辞」が書かれている
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1898(明治31)年2月11日付の神戸新聞第1号。1面に「発刊の辞」が書かれている
かつて、神戸市民の足として利用された神戸市電。廃止当日、1971年3月13日の和田岬停留所の様子
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かつて、神戸市民の足として利用された神戸市電。廃止当日、1971年3月13日の和田岬停留所の様子

■昭和初期、「東洋一の市電」の記録

「混み合ふのも無理はない」「一日の乗客が四十萬人」

 1928(昭和3)年12月19日付朝刊の神戸新聞4面には、こんな見出しの記事が掲載されている。ある交通機関の混雑具合をまとめた調査の記事だが、何の乗り物か、お分かりだろうか。

 答えは、1910(明治43)年に開業した、路面電車の神戸市電だ。

 2人掛け座席を搭載した「ロマンスカー」や女性車掌を採用し、車体の塗装には珍しい緑のツートンカラーを取り入れた。先進的な技術も駆使し、付いた愛称は「東洋一の市電」。高度成長期のモータリゼーションの波に押され、1971(昭和46)年に廃止されたが、昭和初期においては、神戸市民の足として欠かせない存在だったことが分かる。

 記事によれば、最も乗降客数が多かったのが、現在の神戸駅に隣接していた瀧道(たきみち)停留所で4万9047人。当時の繁華街、新開地停留所は2万3032人で、「一寸淋しい数字である」と評されている。

 この記事から1世紀近く経った今、神戸市は、都心部の回遊性向上策として、次世代型路面電車「LRT」の導入を検討。神戸市電の歩みにも、改めてスポットライトが当たりつつある。

■紙齢を重ねる「社会の鏡」

 このように、日々、脈々と発行される新聞というのは、その時代を生きる人にとっては最新の情報源として活用される一方、時が経てば、往時の世相を記録した貴重な資料ともなる。そういう意味において、新聞は「社会の公器」であるとともに、「社会の鏡」と表現できるのかもしれない。

 19世紀の末、1898(明治31)年2月11日に創刊した神戸新聞は2021(令和3)年11月23日、4万4444号を迎えた。冒頭で紹介した神戸市電のニュースも、実は神戸新聞の1万1111号という「ぞろ目」の紙面から取り上げたものだ。

 この数字を、新聞社では「紙齢」という。その積み重ねは、大仰に言えば、明治、大正、昭和、平成、令和という5つの時代を、地元・兵庫の人たちとともに神戸新聞が生き抜いてきた証しでもある。

 ここでは、123年余りの歴史を経てたどり着いたぞろ目の紙齢にちなみ、その歩みを改めて振り返ってみたい。紙面が映し出してきた、その時、その時のさまざまな世相とともに。

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