東京芸大の大学院映像研究科で師弟関係にあった黒沢清監督(66)と濱口竜介監督(43)。作品のスタイルは違うけれど、どちらも神戸で映画を撮ったという共通点がある。神戸での経験、そしてコロナ禍に見舞われた映画の現状と今後についても語り合ってもらった。(聞き手・片岡達美)
●物語の舞台
-黒沢監督は神戸出身ですが、関東出身の濱口監督はなぜ、縁のない神戸で撮影を?
濱口 東日本大震災の後、東北でドキュメンタリーを3本撮った。それで東京でなくても映画は撮れる。次は関西で撮りたいと、最初は京都でと考えたのだが、神戸の協力者から強力に誘ってもらい…。2013年から神戸に住み、演劇ワークショップを担当、その参加者を中心に「ハッピーアワー」を監督した。神戸でなく、京都だったら、その後の作風が変わっていたかも。
黒沢 神戸に住んで撮ったことが作品に何か作用した?
濱口 実際に住んだということが大きかった。なんということもない道を歩く、そんな場面にもリアリティーが出せる。山に登っても、海を見ても。匿名の土地ではない、今、ここ神戸に暮らす人のリアルな物語になったのではないかと思う。
黒沢 僕は神戸に生まれ育ったので客観的に見るのが難しいが、神戸は地方らしい何かがあるわけでも、東京のような中央性があるわけでもない。そういう意味で、ほどよく日本全体を代表する抽象的な場所に見えるのかも。どこから見ても京都は京都なのと違い、「ここは神戸」という風景になりにくいのがいい。こういう場所でこそ、普遍的なドラマが生まれるのかも。
濱口 「ハッピーアワー」の場合、ワークショップ参加者に生活を語ってもらううち、自然と彼女らが暮らす神戸が背景として浮かび上がってきた。
-濱口監督が脚本作りで参加した黒沢監督作品「スパイの妻」は1940年代の神戸が舞台でした。
濱口 当時の神戸の様子を調べ、「新開地のスケートリンクで人が滑っているところから始まる」といったふうに、今、そこにないものも描いた。
黒沢 40年代のスケートリンクは無理でしょう、予算的に(笑)。脚本を好きなように書いてくれたが、それをどう扱うか、決めるのは監督の仕事。少なくとも主役2人には神戸弁をしゃべらせたくなかったので、横浜から引っ越してきたことにした。
濱口 黒沢さんの作品に関西弁、想像がつかないな。
黒沢 神戸は生まれ育った街として好きだし、ロケ地としてもとてもいい。でも神戸の物語を撮りたいと思ったことは一度もない。途端に自分の話になってしまいそうなので。むしろ自分はできるだけ消して作品を成立させたいといつも考えている。
-基本的に標準語を使う理由ですね。
濱口 僕は神奈川生まれだけれど、親の仕事で2年に1度くらい引っ越していたので、特定の土地に対する執着がない。それに、引っ越し先で「標準語しゃべってる」と指さされ、僕にとっては標準語は抑制と結びついている。
黒沢 大学で東京に行ってから標準語を使うようになり、少なくとも映画については関西弁で考えることができなくなった。僕にとって関西弁は18歳までの言葉。だから映画で関西弁をしゃべった途端、隠していた自分自身をさらけ出すようで不安になりそうだ。
●コロナとフィクション
-コロナが創作に与える影響は。
濱口 観客からは見えないところだが、撮影現場も変化を強いられている。身体接触を伴うことが多いのでマスクをなかなか外せない。いったいいつまで着けたらいいのか。
黒沢 現代の日本が舞台で、俳優にマスクを着けさせると非常に生々しくなる。ドキュメンタリーならそれでいいが、フィクションの場合、通行人がマスクをしている分には見過ごせるとしても、主役がマスクだとすごく邪魔になる。役の人物ではなく、今を生きている俳優がコロナ感染を防ぎつつ、演じているんだな、と思われてしまう。ただ、この状況が5年10年続いたら、何がフィクションのリアリズムなのか分からなくなってくるのかな。
濱口 フィクションのリアリズム。まさにクロサワイズム。
黒沢 3密も濃厚接触も、撮影の現場には当然ある。具体的なガイドラインがあるわけじゃなく、注意しながらやるべきことをやっていくしかない。
濱口 映画をはじめ、芸術は不要不急という声も聞こえてきた。だが何が不要かは、それぞれが置かれている状況によって違うので、あまり意味ある言葉だとは思えない。不急についても、芸術に経済的価値があるかどうかは、今ここでの価値観では測れない。それはすぐには消費されないし、だからこそ時間に耐えうる。不急は芸術の本質なのでは。
●映画館か配信か
-映画館も大変でした。
黒沢 営業停止を強いられた。中でもミニシアターは、コロナの何年も前から、そこでしか見られないようなマイナーな作品に関心を持たない人が増え、苦戦してきた。だからこそ濱口の映画がミニシアターで上映され続け、ヒットもしてほしい。濱口の作品を通してミニシアターの魅力を再発見してくれる人がいたら、それこそ撮ったかいがあったということだろう。
濱口 「偶然と想像」は全国50館で一斉に公開したが、ミニシアターは映画通が行くところだと気後れする人がいるのも事実。時間的・空間的制約があって映画館に行けない人もいるので配信でも見られるようにした。配信と映画館、それぞれの長所、便利な部分を生かして共存していかなくては。
黒沢 映画はなくならないと信じているが、絶対になくならないと思っていたフィルムからアッという間にデジタルに置き換わったのを考えると、映画館が消え、配信だけに、ということもあるかも。
濱口 昔、劇場上映を想定せずに作った作品が映画館の大スクリーンに映し出され、いろんなアラが見つかって恥ずかしい思いをしたことがある。たとえ家で見る配信が主流になっても、大画面、大音響で見られて恥ずかしくないような作品を作っていきたい。
黒沢 1960年代にも、シネスコのような大画面向きの映画が製作されるようになったのに、予算が減らされ、70年代の映画はスカスカなのが目立った。今も高解像度の規格を使うIMAXシアターの増設など、大画面で楽しもうという動きはある。そこではハリウッドの大作がかかっているわけだが、邦画でIMAXに耐えうる作品を作ることが可能なのかどうか。もちろんアニメーションならできそうだが。
濱口 膨大な製作費の大きな映画か、自主制作のような小さな映画か、両極端になっている気がする。
黒沢 僕たちはその中間のサイズの映画を作ってきた。「スパイの妻」も「ドライブ・マイ・カー」もまさにそのサイズ。大作でも低予算でもない、ちょうどいいサイズの映画。そこにはまだまだ可能性が残されていると思う。
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