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板家久美さんが手掛けた広告マッチ=姫路市野里
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板家久美さんが手掛けた広告マッチ=姫路市野里
板家久美さん(家族提供)
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板家久美さん(家族提供)
喫茶店の必需品だったマッチを懐かしむ「茶房 大陸」の岡本一さん=姫路市綿町
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喫茶店の必需品だったマッチを懐かしむ「茶房 大陸」の岡本一さん=姫路市綿町
「50米道路」と記された「とんかつむさし」のマッチ
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「50米道路」と記された「とんかつむさし」のマッチ
時代を感じさせるマッチ箱のラベルが並ぶマッチの里ミュージアム=姫路市東山
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時代を感じさせるマッチ箱のラベルが並ぶマッチの里ミュージアム=姫路市東山

 喫茶店やスナック、自宅の仏壇など、かつては暮らしの至る所にマッチ箱があった。ずいぶん前にライターに取って代わられ、たばこさえも電子化された時代。目にする機会はめっきり減ったが、兵庫・姫路には昭和から平成にかけて、飲食店などの広告マッチのラベルデザインを多く手掛けた画家がいたという。ラベルが映す時代の空気を感じようと、ゆかりの店などを取材した。(段 貴則)

 姫路で広告マッチのラベルを描いていたのは、神戸出身の画家・故板家久美(ひさよし)さん。1925年生まれで、終戦後に姫路へ移り、姫路城近くで絵画教室「青い鳥の会」を開いていた。

 次男晄(わたる)さんの妻千鶴さんによると「近所の店から頼まれ始めたのがきっかけで、かなりの数を手掛けたと聞いている」と話す。夫妻が営む絵画教室には、久美さんが手掛けたマッチ箱の一部が残されており、昭和期のラベルは当時の世相などを映している。

 ウイスキーをソーダ割りで安く飲ませるハイボールスタンドの流行に伴い、久美さんも多くの店の広告マッチをデザインした。ラベル面を本のように開いて使う米国発祥の「ブックマッチ」タイプが多い。ラベル裏面には、製造元が「スマートで手軽、近代的な広告マッチ」と記している。ハイカラな雰囲気を演出していたのかもしれない。

 また、地元飲食店の広告マッチの表記を見ると、電話番号が4桁のみだったり、姫路城とJR姫路駅を結ぶ大手前通りを「50米道路」と記してあったりと時代を感じさせる。

 久美さんが手掛けた広告マッチの一つが、戦後、姫路でいち早く開業した喫茶店とされる「茶房 大陸」(姫路市綿町)だ。岡本一社長は「コーヒーを出さない喫茶店がないように、どこの店にも必ず広告マッチがあった」。客がテーブルに着くと、水と店のマッチ、灰皿をセットで出した。「客がマッチを持って帰ってくれれば、使うたびに人の目に付く。うちの店では、家庭用サイズの大きなマッチまで配っていた」と振り返る。

 今も広告マッチを出し続けているのが、シューマイで知られる中華料理店「東来春」(同市西二階町)だ。久美さんが新年を前に描いた次の干支(えと)を、同店では正月から広告マッチにして配布。同店を営む里見正子さんは「板家先生にそっくりな干支もあり、まるで似顔絵のよう」と笑う。

 久美さんが亡くなった後は、晄さんが干支のデザインを引き継いだ。里見さんは「うちの店は口コミ頼りで、マッチは大事な宣伝手段。特に干支のマッチは人気があり、常連さんの中には仏壇のろうそく用としてマッチにこだわる人も多い」と話す。

     ◇     ◇

■懐かしいラベルずらり 姫路の博物館

 懐かしい広告マッチのラベルは、インターネット上や姫路市内のミュージアムでも公開されている。

 同市北条梅原町の認定こども園「もく保育園」の植月嘉保留(かおる)代表は、板家千鶴さんから譲り受けた久美さんデザインのラベルを冊子「昭和マッチ広告ラベル 昭和20-50年代」にまとめた。インターネットで「板家久美」と検索し「マッチの世界」と題したPDFを開くと、閲覧できる。

 また、田中マッチ(姫路市飾磨区加茂南)はインターネット上に「燐寸(マッチ)博物館」を開設。現存する日本最古のマッチ箱を含め、同社のコレクションを時代ごとに紹介している。

 国内最大手のマッチ製造会社、日東社(同市東山)の本社そばには、東山自治会館があり、マッチ産業や地区の歴史、文化を紹介する「マッチの里ミュージアム」を併設している。

 会館とミュージアムを開いたのは、同社先代社長の大西壬(あきら)さん、美代子さん夫妻。国産マッチ産業の歩みを記したパネルを設置しているほか、同社が得意とした広告マッチや大正期の商品ラベルをそろえる。

 ミュージアムの見学希望は、同社TEL079・246・1561

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