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ウクライナの故郷を訪れたときの写真を娘と一緒に見る川瀬イダさん(右)と夫の弓弦さん=神戸市垂水区大町3
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ウクライナの故郷を訪れたときの写真を娘と一緒に見る川瀬イダさん(右)と夫の弓弦さん=神戸市垂水区大町3
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 ロシアによるウクライナ侵攻が激しさを増す中、150万を超える人々が隣国に逃れたとされ、その数は増え続けている。ウクライナ出身で神戸市垂水区在住の川瀬イダさん(43)の親戚もハンガリーへ避難した。今後、停戦が実現したとしても、街は破壊され、帰れる日が来るかは見通せない。イダさんは「ふるさとを離れるしかなかった人たちの気持ちに寄り添い、少しでも力になりたい」と話し、夫で牧師の弓弦さん(43)や子どもと、5月にハンガリーへ移住する計画だ。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の推計では、6日までの10日間にウクライナから周辺国に避難したのは150万人以上。半数超がポーランドで、ハンガリーが約17万人、スロバキアに約11万人と続く。今後数カ月で400万人以上に膨らむ可能性があるという。

 イダさんは、ウクライナ西部、ハンガリー国境付近の村で生まれ育った。周辺はかつてハンガリー王国の領土だったが、2度の大戦を経てソビエト連邦の一部に。ソ連時代は、市民の蜂起が武力で鎮圧されたハンガリー動乱(1956年)の影響も色濃く、ハンガリー語を外で話すことは禁じられ、住民にはロシア名が与えられた。

 しかし91年にソ連が崩壊すると、学校の授業はウクライナ語で行われるようになった。「国が変わるたびに、言葉も文化も全部変わった」とイダさん。村の住民にもウクライナ人やロシア人が増えていたという。

 ウクライナには、ルーマニア人やポーランド人など多くの民族が暮らす。それぞれの言葉や文化、教会を持ち、アイデンティティーを重視するが、「政治に振り回されても、みんな少しずつ我慢しながら平和に暮らしてきた。ロシアだけが武力で現状を変えようとするなら、それは違う」と首を振る。

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 侵攻以来、会員制交流サイト(SNS)などで現地の親戚や友人らと連絡を取る。ロシアのミサイル攻撃は故郷の村から100キロほどの町にも及んだ。

 ハンガリーは5カ所の国境検問所を24時間開放し、身分証なしでも難民を受け入れているが、それでも十数キロの渋滞ができ、幼い子連れの人も多いという。

 親戚は避難できたが、知人は家畜を置いたまま逃げることができず、総動員令で徴兵される可能性もあるという。「彼は陽気で優しい村のおじさん。戦争の経験なんて全くないのに…」と手で顔を覆う。

 イダさんはアメリカ留学中に知り合った弓弦さんと結婚、4人の子に恵まれた。2014年のロシアによるクリミア併合後の混乱を受け、ウクライナの未来に不安を抱き、ハンガリー国籍を取得した。

 「ゆくゆくはハンガリーの国内外を結ぶ架け橋に夫婦でなりたいと夢見ていた」と弓弦さん。移住に向けて準備している最中に、今回の侵攻が起きた。

 「きっと誰もが、自分が難民になるなんて思いもしなかったはず。ウクライナ人とロシア人は兄弟みたいな存在。兵士もどんな思いで戦っているのか…」とイダさん。一方で「つらいけれど、驚きはしない。この土地の歴史を知っているから」と言い、「避難先で暮らすのは言葉や文化、お金の面で苦労が多いはず。私たちには今こそ、やるべきことがある」と力を込めた。

(広畑千春)

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