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モディリアーニが同じモデルを描いた裸婦像2点が隣り合う=大阪中之島美術館
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モディリアーニが同じモデルを描いた裸婦像2点が隣り合う=大阪中之島美術館
モディリアーニの《若い女性の肖像》(1917年ごろ、左)などの展示風景=大阪中之島美術館
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モディリアーニの《若い女性の肖像》(1917年ごろ、左)などの展示風景=大阪中之島美術館
モディリアーニが愛したジャンヌ・エビュテルヌを描いた作品が並ぶ=大阪中之島美術館
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モディリアーニが愛したジャンヌ・エビュテルヌを描いた作品が並ぶ=大阪中之島美術館

 彼は貧困にあえぎ、恋を重ねて、酒におぼれた。しかし、若くして生を終えるまで、美を懸命に追い求めた。大阪中之島美術館(大阪市北区)の開館記念特別展「モディリアーニ-愛と創作に捧(ささ)げた35年-」では、彼の世界初公開の絵画を含む代表作40点が国内外から一堂に会する。日本での回顧展は14年ぶり。優美な作品群は、モデルと真摯(しんし)に向き合ってこそ姿を現し、今も確かに生きている。(小林伸哉)

 アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(1884~1920年)はイタリア出身で、細長い首の肖像画で知られる。アーモンド型の目には瞳がない。何を見つめているのか-。モデルの心の奥を想像させ、観客を内省に誘う。のぞき込まれ、引き込まれるようだ。

 彼は、実際にモデルと向き合わないと描けなかったという。瞳を入れた作品では、流し目が魅惑的で、目力が強い裸婦像も並ぶ。手指のしぐさや顔の傾き、語り出しそうな口元…。モデルの気むずかしそうな内面まで伝わる。その人「らしさ」を凝縮した作品だけでなく、彼の目指す美を象徴するような絵もある。

 作品に「調和と静謐(せいひつ)と高貴が漂っている」と名古屋市美術館参与の深谷克典さんは図録に記す。「造形を根底から支える深い精神性のようなものが、画面から漂ってくるのである」と評する。すぐに気づくことは難しい。しかし「しばらく絵の前にたたずんでいると、無限の感情が静かに自らの中に湧き上がってくることに気がつく」という。

     ◇

 モディリアーニは1906年、21歳でパリにやってきた。若き日からの3章構成で、交流した画家の作品や資料を含む計約100点を飾る。まず20世紀前期のパリの空気感を、当時のポスター類で伝える。

 第1章「芸術家への道」では、初期作「青いブラウスの婦人像」が並んで「青の時代」のピカソの影響を感じさせる。彫刻家ブランクーシと出会って、彫刻に関心を深めた姿も伝える。

 第2章「1910年代パリの美術」では、ピカソやシャガールら同時代を生きた「エコール・ド・パリ」などの画家25人の絵を飾り、モディリアーニが親しかったキスリングや藤田嗣治を描いた肖像画も見せる。藤田との友情を軸にした特集展示「モディリアーニと日本」も見逃せない。

 第3章「モディリアーニ芸術の真骨頂」には円熟期の優品が集まる。世界初公開の「少女の肖像」は、ハリウッド女優のグレタ・ガルボが愛して所蔵した絵画だ。木の彫刻のような味わいで、見る者を引きつけて離さない。

 大阪中之島美術館所蔵の「髪をほどいた横たわる裸婦」は89年、大阪市が19億3千万円で購入した。隣にベルギーのアントワープ王立美術館が所蔵する「座る裸婦」が並ぶ。同じモデルを描いた裸婦像で、2点が再会する貴重な機会となった。構図や質感などの対比を楽しみたい。

     ◇

 モディリアーニは20年、結核性髄膜炎で生を終えた。35歳。妊娠中の伴侶は、身を投げて後を追った。

 日本の画家らに影響を与え、人気は根強い。大阪中之島美術館学芸員の小川知子さんは、日本での受容をテーマにした論文を図録に載せ、「人間が経験する普遍的な喜びや困難、表現し創作することへの情熱を受け取ってきた」と記した。

 モディリアーニが03年ごろ、友人に宛てた手紙がある。その一節が展示の終盤で紹介される。

 「自分に犠牲を強いてはいけない。君の真の務めは、自分自身の夢を守ることだ。美は、時として苦しい義務を伴うが、そこから、魂の最も美しい働きが生み出されてくるのだ」

     ◇

 7月18日まで。月曜休館(ただし5月2日と7月18日は開館)。一般1800円ほか。大阪市総合コールセンターTEL06・4301・7285

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