1945年8月6日。副島圀義(そえじまくによし)さん(76)=兵庫県芦屋市=は、母まちさんのおなかの中で原爆に遭った。まちさんは炎に包まれた広島の街を走り回った。そして、炎天下の河川敷で陣痛に見舞われる。万事休す、と思ったその時…。
「フイに、暗示によって陣痛を遠のかせる方法が思い出されてきました。背中を石垣にもたせ、両手を下腹にあてて組み合わせ、瞳を閉じました」(英訳された手記集「生まれた時から被爆者」から)
「痛みが減ってきた、もっと減ってきた」-。何度もつぶやくうち、陣痛はおさまったという。はぐれていた子ども2人とも再会がかない、夢かと涙した。
◇
その後、出産準備のため訪れた病院は負傷者であふれ返っていた。やけどで背中一面が赤くただれた人、まぶたがなくなり、手足が曲がりくねった人…。「ヒイヒイ」という泣き声が響く中、医師はまちさんに「お産なんかで来る人がありますか」と言い、赤子のへその緒の処理の仕方を教えた。
まちさんは崩れかけた自宅で、医療者の助けなく、出産することを決意する。19日午前1時、圀義さん誕生。しかし3日目、へその緒が化膿(かのう)し、高熱に襲われた。まちさんは消毒薬の濃い原液をへそに注いだ。
「赤ん坊は痛さで絶叫しました。すべてを運命に任せて、唇にお乳を搾って流してやり、小さい頭を冷やしました。三日目、赤ん坊の体が妙に冷たくなっているのに気づきました。あわてて頬に唇をあて、鼻に自分の頬を近づけてみました。息がある、生きている…」
◇
家族は戦後、復員した父吉雄さんが神戸大学の教授に就くのに伴い、芦屋市に移った。
「小学校のころは病気がちだった」という副島さんだが、その後は健康に過ごす。しかし、父や兄たちはがんなどの病気にむしばまれ、姉も結婚や子育ての中で幼き日の被爆の影におびえた。
副島さんは77年の来し方を振り返って思う。「私は11回、生き延びた」と。もし母が原爆投下で命を落としていたら。もし高熱を出した赤ん坊の時にそのまま死んでいたら。もし父や兄のようにがんになっていたら-。指折り数えた「もし」が11回。
だから、できることをせなあかん--義務感のようなものにせき立てられ、定年後はかつてまちさんが代表として奔走した兵庫県原爆被害者団体協議会の活動を支えた。
依頼にこたえる形で、被爆体験も語り始めた。胎内にいて当時の記憶はない。まちさんの書き残した体験記を何度も読み返した。次第に「生かされた命」の重みを感じるようになった。
そして、2020年。原爆胎内被爆者全国連絡会=広島市=が手記を募集していることを知る。まちさんの体験記を引用して原稿をまとめると、手記は本「生まれた時から被爆者」に収められた。
翌年、一人の若者がその本を手にする。関西学院大4年の被爆3世、貞岩しずくさん(22)=西宮市=だった。(中島摩子)
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