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岸政彦さん。沖縄タイムスの大型企画「沖縄の生活史」の共同監修も担当している=大阪市内(撮影・秋山亮太)
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岸政彦さん。沖縄タイムスの大型企画「沖縄の生活史」の共同監修も担当している=大阪市内(撮影・秋山亮太)
岸さんが撮影した沖縄の街角。写真のファンも多い(岸さん提供)
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岸さんが撮影した沖縄の街角。写真のファンも多い(岸さん提供)
岸さんが撮影した沖縄の街角。写真のファンも多い(岸さん提供)
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岸さんが撮影した沖縄の街角。写真のファンも多い(岸さん提供)
岸さんが撮影した沖縄の街角。写真のファンも多い(岸さん提供)
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岸さんが撮影した沖縄の街角。写真のファンも多い(岸さん提供)

 市民の暮らしと隣り合わせの米軍基地、あるいは苛烈を極めた沖縄戦と戦後27年に及ぶ米国の統治。時には琉球王国以来の文化について。日本復帰から50年を迎えた沖縄県の多様な扉を、ゆかりの深い方々が、1年余りの連載を通じて開けてくださいました。最終回の案内人は立命館大学教授で社会学者、作家の岸政彦さん。沖縄で暮らすさまざまな人びとの生活史を聞き取り、四半世紀。多様な肉声がつぶさに記され、生の重みが伝わる著作は版を重ね、深い信頼と共感が寄せられています。(聞き手・新開真理)

■合理的な行為

 では、大田昌秀さんの「沖縄の民衆意識」(新泉社)から。米軍用地の強制使用を巡る代理署名の拒否など国と闘った元知事として知られますが、この本は琉球大学での社会学者としての仕事です。

 軍国少年として勝利を信じていたのに、沖縄戦では多くの級友が犠牲になり、自身は九死に一生を得た。この経験から、大田さんはメディア研究の道に入ります。本書では、権力や戦争に抵抗する民衆意識をどうすれば生み出せるのか-という非常にスケールの大きな問いを立て、膨大なデータを駆使して論を編み上げた。戦前の沖縄の新聞を分析し、世論形成の動きを解明しようとしました。ご本人の話では、宮古島まで行って、取り壊される民家の壁紙の下から古新聞を剥がしてきたとか。初版は1967年ですが、この問いは今なお生きていると感じます。

 大田さんは、沖縄には封建的で長いものに巻かれるような民衆意識があり、それは平和を求める活動の阻害要因、乗り越えられるべきものだと考えていた。一方、沖縄国際大学教授を務め、庶民の視点から戦中戦後を見つめてきた石原昌家先生は違う捉え方をしています。

 非常に大きな功績のある社会学者ですが、中でも「郷友会社会 都市のなかのムラ」(ひるぎ社)を薦めたい。郷友会とは戦後、那覇市に流入した周辺部や離島出身者らによる同郷のネットワーク。職探しを手伝ったり食えなくなった人の面倒をみたりするうち、非常に強力で大規模なつながりになっていった。著者はそのパワーについて、復帰運動などに並ぶと指摘しています。

 こうした共同性こそが沖縄社会の本質だ-とする言説はよく見られますが、本書は、そうしたつながりは社会変動に適応する中でつくられたんだよ、と教えます。(経済力や学歴といった)資源を持たない人々が人脈という資源を動員するのは、非常に普遍的、合理的な行為である、ということも。

 僕は20代の半ば、たまたま旅行で沖縄を訪れ、すっかりはまってしまった。本めっちゃ読んで、大阪では手に入りにくかった泡盛を探して。沖縄のことをかなり理想化して、ロマンチックに考えてました。でも、この本を読むと、人間というのは与えられた環境の中で精いっぱい生きようとするんだと。それはどの街でも、国でも、多分変わらない。そういう非常に大きなことを学びました。

 石原先生は、県民の4人に1人が命を奪われた沖縄戦を巡って膨大かつ詳細な聞き取りをされ、国家や軍といった権力ではなく、住民の側からの証言を残してこられた、尊敬するフィールドワーカーです。本書には、好景気に沸く復帰前の那覇に人々が集まり、治安の悪化などはありつつも必死で働き、たくましく生きる姿がいきいきと描かれている。ほぼ手に入らないんで、何とかして復刻したいんですけど。

■境界線

 この2冊に対する僕からの一つの回答が「地元を生きる 沖縄的共同性の社会学」(ナカニシヤ出版)です。僕と共同研究者の打越正行、上原健太郎、上間陽子との共著で、これまで書かれてこなかった、社会的階層によって大きく異なる共同性に目を向けました。

 大卒の公務員や大手企業の社員ら「安定層」の人たちは、都市部でマンション買ったら故郷には帰らない。「もっと働かないと、競争しないとだめだ」とか、現状を批判的に語ることも多い。高校や専門学校を出て地元でサービス業などに関わる「中間層」は、沖縄的共同性の真ん中で生きている。同級生がお客さんになるから、日常的な行為規範も人間関係が優先される。さらには地元からも家族からも排除され、日雇い労働や風俗業などに携わる「不安定層」の中には、暴力や搾取による貧困に苦しんでも、誰も助けてくれない人がいる。沖縄的共同性の中の複数性を描いた本です。

 関連して、自著で申し訳ないですが「はじめての沖縄」(新曜社)を。大学院で研究を始め、いつの間にか仕事になって、それで飯食わせてもらってる。僕は文字通り、沖縄によって生かされている人間なんですけど、基地や貧困を押し付けているナイチャー(本土の人)として、沖縄の人たちの選択や理由みたいなものをジャッジするんじゃなくて、まずは理解したいと思ってきました。基地を容認する沖縄の人も、頭から否定したくない。境界線を越えるんじゃなくて、境界線があることを尊重したい。その辺の、ちょっとめんどくさい話を書いた本です。

■素潜りのような

 10代の頃から(社会や文化を巡る幅広いテーマで市井の人々の肉声を記録し続けた米国の作家)スタッズ・ターケルみたいな仕事がしたいなと思ってたんです。生活史の調査を始めて25年になりますが、こつも、ノウハウもない。いまだに手探りです。

 沖縄戦という凄惨(せいさん)な体験について聞くのは、とてもしんどいことです。途中でやめたこともある。聞き取りは、2、3時間、息止めて素潜りしてるような感じです。終わると水面に浮かんで、ようやく息が吸える。1日ひとりが限界です。

 ドタキャンも多いけど、予定とは違う人が来て、話してくださることもある。近年は、戦争の後、今までどうやって生きてこられたのかを中心に聞いています。たくさんの人が亡くなった戦争なんだけど、たくさんの人が生き残った戦争でもあって、その人たちが(今いる)140万県民を育ててきたわけだから。

 僕がナイチャーの側にいることは一生、変わらない。けれども、沖縄の人たちの経験をできる限りたくさん聞いて、記録に残すという仕事はできるんじゃないか。そう思っています。

=おわり=

【きし・まさひこ】 1967年生まれ。大阪市立大学大学院文学研究科単位取得退学。著書に「同化と他者化」、小説「リリアン」(織田作之助賞)など。編著に「東京の生活史」(紀伊国屋じんぶん大賞)。

【好きなウチナーグチ(沖縄の言葉)】 ウチナーグチは使わないようにしています。内地(本土)の人間が踏み込んじゃだめだと思っているので。距離を置いてます。

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