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中学2年の時に走って上った避難路で、備えの大切さを伝える川崎杏樹さん(右)=岩手県釜石市鵜住居町
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中学2年の時に走って上った避難路で、備えの大切さを伝える川崎杏樹さん(右)=岩手県釜石市鵜住居町
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 東日本大震災当時、背後に迫る津波から走って逃げて生き延びた岩手県釜石市の中学生が、語り部となって全国の人たちに経験を伝えている。力を入れるのが、11年半前に実際に使った1・6キロの避難路を歩き、追体験してもらうプログラム。兵庫県で死者想定が2万9100人に上る南海トラフ巨大地震など、次の災害への備えに生かす。(上田勇紀)

 釜石市北部の鵜住居(うのすまい)地区は津波で約600人が犠牲になった。当時、川崎杏樹(あき)さん(26)は市立釜石東中学校2年。体育館で激しい揺れを感じ、すぐに外へ。学校の目の前は海。「絶対津波が来る」と感じ、生徒と教員は地震発生から5分後、内陸に向かって避難を始めた。

 途中、通所介護施設で市立鵜住居小学校の児童と合流。中学生が小学生と手をつなぎ、さらに高台を目指した。海抜15メートルのデイサービス施設にたどり着いた時、振り返ると黒い津波が見えた。「突然、空気がひやっとした。地鳴りと車のクラクション。下水のようなにおい…。その時初めて、『死ぬかもしれない』と感じた」。そこからはただ、全力で走った。

 避難した小中学生らは無事で、後に「釜石の奇跡」とたたえられた。だが、川崎さんは「事前に繰り返し、学校で避難訓練をしていた。だから自然と体が動いた」と話し、「奇跡ではない」と強調する。

 通っていた中学校があった場所には、ラグビーワールドカップの会場にもなった「釜石鵜住居復興スタジアム」ができ、古里は津波の痕跡が少なくなった。川崎さんは地元に貢献しようと、大学卒業後にUターン。2020年から鵜住居にある震災伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で語り部として働く。追体験のプログラムは好評で、修学旅行の小中学生ら幅広い世代から予約が入る。

 兵庫県の想定では、近い将来の発生が予想される南海トラフ巨大地震で、洲本、南あわじ市は最大震度7、神戸、阪神、播磨地域などは6強の揺れに襲われる。南あわじ市の沼島には地震から最短44分で、神戸市には同83分でそれぞれ高さ1メートルの津波が到達。繰り返し押し寄せ、津波水位は南あわじ市福良地区で最大8・1メートル、神戸市で同3・9メートル。県内の死者は津波によるものが96%を占めるとされる。

 このほど、全国から参加があったマスコミ倫理懇談会全国大会の視察で、記者らを前に川崎さんは力を込めた。

 「まず逃げること。それが命を守ることになる」

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