今年は米国人が日本に野球をもたらして150年。夏の全国高校野球選手権兵庫大会中、神戸新聞運動面のコラムでこのことを取り上げたところ、1枚の白黒写真が本紙に届いた。球児の胸には「Itami」。送り主は兵庫県姫路市に住む93歳の女性で、「亡き父が残した写真です。詳しいことは分かりません」。代わりに調べると、謎多き展開が待っていた。
(有島弘記)
■旧制伊丹中の8番センター
写真では、木造建屋の前に選手たちが並んでいる。左上に残る走り書きから1919(大正8)年の撮影と推測できた。
持ち主は竹内和佐子さん。孫にあたる本紙映像写真部の吉田敦史記者を通じて送ってくれた。「亡き父」は内田和雄さんで、後列左から2人目の少年だ。竹内さんが3歳になる前に他界したという。
兵庫県高校野球五十年史(県高校野球連盟発行)などによると、同年の兵庫大会で「内田」という選手が旧制伊丹中の8番センターで先発していた。そこで、「内田和雄」まで特定しようと、伊丹中を前身とする県立伊丹高校の内藤祐司監督(40)に協力をお願いし、OB名簿などを調べてもらうことになったが、後日、予期しない事態が待っていた。
■転退学か 名簿に名前なく
「卒業生名簿には名前が残っておらず、途中で転退学した可能性があります。あるいは手続き上、名前が残っていないだけかもしれません。また、野球部OB名簿にも名前はありませんでした」
内藤監督から届いたメッセージに目を疑った。公的な資料から内田さんの名前が消えていたのだ。
在籍中に転退学した可能性はあるのか。兵庫県教育史(県教育委員会発行)を調べると、内田さんの入学時から約10年さかのぼるが、1905(明治38)年度の県立中学校退学者は349人で、入学時の686人の半数以上を占めた。理由は家計困窮の223人が最多で、現代とは事情が違った。
一方で、当時は入学するだけでも難関だったことが分かった。同史は、内田さんが入試を受けた年代を「試験地獄」とし、旧制伊丹中の60年史には「中学校に入ると、一種のプライドを持っていました」という卒業生の証言も載っていた。
内田さんは競争を勝ち抜けた俊才。チームメートには偉人もいた。
先輩にあたる加賀一郎さんは明治大に進学後、陸上の短距離に転向し、20(大正9)年のアントワープ五輪に出場。後輩とみられる藤田信男さんは監督として法政大に黄金期をもたらし、米国指導書の翻訳や国際交流を進めた功績から野球殿堂入りしていた。
■93歳娘の「ありがとう」
調べたメモを携え、竹内さんの自宅に向かった。野球部での活躍、そして卒業名簿などに名前がなかったことを伝えた。
すると、遺品から別の集合写真を見せてくれた。内田さんが伊丹中の帽子をかぶり、「大正九年十二月」の走り書きもある。少なくとも試合記録が残る大正8年の翌年も在籍していた。
さらに竹内さんは「東京の大学に行ったと聞いたことがあって。定かではないけど」と教えてくれた。この言葉が正しければ、内田家の暮らしは苦しくなく、家計が理由の転退学は考えづらい。単純ミスで卒業名簿から漏れたことも考えられる。
だが、100年以上も前の話。真相の特定には至らなかったが、竹内さんは「本当にありがとうございました」と、小さな体をさらに丸め、感謝してくれた。
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