妻と２人の子どもに恵まれ、青年の人生は順風満帆に見えた。ちょっとだけなら－。誘いに乗ったのが、転落の始まりだった。その甘い考えは、行政全体の信頼を揺るがす汚職事件に発展した。

　兵庫県警は昨年５月、収賄容疑で尼崎市の男性職員の北＝仮名（２６）＝を逮捕した。公共工事の入札に関する情報を漏らし、謝礼としてブランド品や現金を受け取っていた。

　■職場引っ張る若手

　神戸市で育った北は、地元の中学を卒業し、サッカーの名門とされる市内の高校でプレーした。３年時のチームは全国大会も経験した。

　高校を卒業後、尼崎市に採用され、水道整備に携わる技術職として経験を積む。この間に結婚し、妻や２人の子と神戸市内で暮らしていた。

　家族や周囲の人物評は申し分なかった。父親によると「活発で兄弟の中でも目立つタイプ」。職場の上司も「ばりばりのスポーツマン。若手の中でも率先して職場を引っ張ってくれていた」と話す。

　入庁６年目、北は市が発注する水道関連工事の設計や施工監督を担っていた。工事を滞りなく進めるため、現場で業者と良好な関係を築くのも仕事の一環だ。現場で知り合ったのが、下請け業者「山下組」の社長山下＝仮名（５１）＝と部下の女性社員、南川＝同（４６）＝だった。

　■癒着の始まりは飲み会

　「飲みに行きませんか」。ある時、北は南川から声を掛けられた。完了した工事の打ち上げをやろうというのだ。

　南川は現場で北に頻繁に話し掛けてくれる感じのいい女性だった。「酒を飲むくらいやったら大丈夫やろう」。自分にそう言い聞かせ、自宅近くの海鮮居酒屋で待ち合わせした。

　まだ肌寒い早春の夜。薄暗い個室に入ると、既に南川と山下が着席していた。

　山下が封筒を差し出しながら切り出した。入札前に発注工事の設計金額を教えてほしい－。封筒の中には現金３０万円が入っていた。

　公共工事に関する入札情報の事前漏えいは、明らかに違法行為だ。だが、北にその意識は薄かった。「あまり深く考えなかった」。後の公判で現金を受け取った瞬間の心境をそう語った。

　■高級財布に焼肉、すし

　現金を渡した社長の山下は、かつて別の建設会社で働いていたやり手の職人だった。数年前に自身の技術や人脈を生かそうと独立したが、思うように仕事が取れず、一時は倒産の危機にも陥った。以降は安定的に発注のある公共工事に狙いを定め、自治体行脚をした。

　だが、公共工事を受注するには他者との激しい競争を制する必要がある。

　酸いも甘いもくぐり抜けてきた５０代の山下が、あどけなさの残る２０代の職員を落とすのはたやすかったようだ。

　北は山下らに言われた通り、同僚の目を盗んで職場の共有パソコンに記録された「工事台帳」のファイルを開いた。入札に必要な情報を、スマートフォンのメモに素早く打ち込む。帰宅後すぐに南川に電話を掛け、内容を伝えた。

　情報漏えいは捜査の手が及ぶまで、何度も繰り返された。謝礼の賄賂には現金に加え、妻の分も含めた「ルイ・ヴィトン」の財布や、海外ブランドの高級時計もあった。接触は大阪・北新地の高級焼き肉店や尼崎のすし店。全て山下組側のおごりだったという。

　北は逮捕後の調べに対し、「南川から電話がかかってくるたびに『金がもらえる』と思うようになっていた」と話した。

　事件発覚後、北は懲戒免職となった。記者会見を開いた尼崎市の幹部は「信頼していたのに」と唇をかんだ。

　■幻だった家族の夢

　北が受けた賄賂はわずか半年間に、明らかになっただけで２７４万円分に及ぶ。神戸地裁の公判で、検察官は北を鋭く追及した。

　「あなた、奧さんに内緒で実家に金庫を置いて賄賂を保管していましたよね。しかも公務員は副業を禁止されているのに、パチンコ店でアルバイトまで。何に使ってたんですか」

　法廷にあぜんとした空気が流れる。北は「自分の飲食とか娯楽に…」とうなだれ、「先のことまで考えていなかった」と軽薄さを露呈した。

　新居の購入も計画し、土地のローン契約も終えていたが、逮捕で契約は破棄されたという。マイホームに妻と子４人で暮らす夢はついえた。

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　もう家族を養っていけない－。そう感じた北は事件後、妻に離婚を切り出した。夫が喜んで持ち帰った賄賂の財布に一切手を付けなかった妻は「普段からいい加減だった」といさめ、「ちゃんと子どもを育ててほしい。一緒に頑張っていこう」と北を励ましたという。

　執行猶予付きの有罪判決を受けた北は、過去の罪を受け入れてくれた民間企業に再就職を果たし、今、家族を守るために日々汗を流している。

＝年齢は当時＝

（井沢泰斗）

【特集「深デジ」】「今日逮捕されました」※会員向けです