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完走後も爽やかな笑顔を見せる広瀬里美さん=20日午後、神戸市中央区港島中町6(撮影・秋山亮太)
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完走後も爽やかな笑顔を見せる広瀬里美さん=20日午後、神戸市中央区港島中町6(撮影・秋山亮太)

 神戸マラソンがなかった2年間、新型コロナウイルスに翻弄(ほんろう)されてきた人は多い。明石市の看護師、広瀬里美さん(33)もその1人。それでも「前を向きたい」と初挑戦した神戸マラソンを走り切った。

 務めているのは総合病院の急性期病棟。感染の波が来るたびに患者で病棟があふれた。病棟内でもコロナ患者が出て手術も止めざるを得なくなった。自宅に帰ることを楽しみにしていた患者は退院できなくなった。家族との面会がかなわないまま人生の最期を迎えた人もいた。看護師も「患者とは極力接触してはいけない」とされ、患者の体を拭くことも話を聞くこともできなくなった。

 自身の生活も大きく影響を受けた。必要最低限の買い物しか出歩くことができなかった。2人の幼い子どもの母親でもあるが、家族からコロナに感染し、病院に持ち込んでしまわないかと気を使い続けた。

 「めいるようなしんどさがあった」

 そんな中でランニングを始めた。仕事で蓄積されていたもやもやが晴れるような気がした。「走っているときは自分が自分でいることができた。走ることで前向きになれた」

 フルマラソンは大学生だった13年前に一度走ったきり。それでも3年ぶりに開催が決まった神戸マラソンへの挑戦を決めたのは「自分自身がスポーツで助けられた。挑戦することが、自分自身を含め、誰かの感動、明日への希望になるはず。社会に広がっているしんどさを打破したい」と思ったからだ。

 当初は順調に足を進めていたが、「30キロの壁があった」。25キロを過ぎた辺りで何度も足が止まりそうになった。それでも、明石から神戸に向かういつもの景色が勇気をくれた。一緒に走るランナーの姿に励まされた。沿道で手を振る老人ホームの高齢者に背中を押された。テレビで応援している長男晴希君(8)や長女芽依ちゃん(4)にがんばる姿を見せようと必死で足を動かした。

 スタートから6時間超でフィニッシュ。「ランナーも沿道の人も一丸となって励ましてくれる神戸だったから走り切ることができた」と広瀬さん。「私も力をもらうだけじゃなく、患者さんや家族など多くの人に力を還元できる人になりたい」と気持ちを新たにした。

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