兵庫県豊岡市日高町十戸で約３００年続くワサビ作りが危機に陥っている。高級食材の水ワサビ（根茎）は高温や水の濁りに弱く、同地区の農家「北村わさび」のワサビ田では、こうした環境の変化が影響したとみられる生育不良で収穫量が激減していた。北村宜弘さん（４７）は、来年１０月で栽培と販売の一時終了を決め、「在来種の保存は続け、続けられる栽培手法を探りたい」と懸命に模索する。（長嶺麻子）

■異変は１０年ほど前から

　北村わさびは神鍋山の麓、標高約８０メートルに位置する。沼地を切り開き、溶岩石を敷き詰めて築かれたワサビ田だ。通年で水温１３度程度の豊富な湧き水に恵まれ、ニジマスの養殖も行われてきた地区。北村さんは自宅裏の３３アールで、２年がかりで育つ水ワサビを生産し、すりおろして食べる生食用として、飲食店などに出荷してきた。

　北村さんが環境の変化を感じるようになったのは２０１０年ごろ。豊岡で３５度以上の猛暑日を記録したのは１９９０～９９年が１２４日だったのが、２０００～０９年で１４２日に増加。１０～１９年では２１３日と急増し、ワサビ田の水温も、これまでの１３度から１４度に上昇した。

　異変の表出は天候のみならない。同じく全国的な傾向としてシカなどによる山林荒廃も挙げられる。神鍋山でも彼らが山中の下草などの植物を食べ尽くすことで、徐々に山の保水能力が失われてきた。近年、頻繁に発生する台風などの豪雨では、湧水がうっすらと濁ることも起こるようになった。

　２０年になると、葉は育つものの、商品となる根が腐ったり病気になったりし、まともに育つのは２割を切る事態に。この頃、新型コロナウイルス禍と重なり、休業する飲食店が相次いだため、何とか受注分の収穫を保てたが、ついに今年は需要に供給がまったく追いつかない状況に陥った。

■ワサビならではの事情

　通常の農家なら品種改良された種苗を購入して栽培することが一般的だが、ワサビはそうはいかないという。北村わさびでは、ごま粒ほどの種子を採って種をまき、苗を育て、田に植えて育てる。この間、２年。株の育ち方にばらつきが多く、非常に手間暇がかかるが、良質なワサビを作るには欠かせない作業だ。

　「ワサビに限らず、温暖化で農業も漁業も不安定な状況にあると思う。多角的な検証が必要」と北村さん。今回の決断については、「家業を継いでから覚悟はしていたものの、これが限界かな」と悔しさをにじませる。専業農家となって２０年近くたつが、収入減を補うため、今春から派遣社員として別の仕事も始めた。

　現在の栽培形式を終える１年後には、収穫しやすい葉ワサビの栽培に切り替えるなど、持続できる手法を探る。「１０年、２０年の視点でワサビ田の再生を図るしかない。子どもたちにワサビという食材を残してあげないと」。北村さんの試行錯誤は続く。

■ワサビ栽培の発祥地・静岡は

　すりおろして薬味として食べる水ワサビ（根茎）を中心に、産出額で全国７割を占める静岡県。４００年前に始まった日本のワサビ栽培の発祥地ともされ「静岡水わさびの伝統栽培」は２０１８年に国連食糧農業機関の世界農業遺産に認定された。その一大産地でも環境の変化がワサビの生育に影響を及ぼしている。

　「科学的な見地からは、まだはっきりと言えないが、ワサビ農家の人たちは『昔に比べて山林が荒れて水量が減り、水温が高くなっている』と口をそろえる」と話すのは、同県農林技術研究所上席研究員の片井祐介さん（４４）。「実際、水の少ないところに栽培不良が見られ、耕作放棄が進んでいる」と指摘する。

　古来、渓流に自生していたワサビ。同県のワサビの栽培地は標高７０メートル程度から千メートルと幅がある上、河川との距離など地形が大きく異なり、栽培品種の組み合わせもさまざま。片井さんは「早くて１年で育つものや、２年かかるものとか。種によっては、近年の夏の厳しい暑さに２度耐えられない、ということも考えられる」と指摘する。

　全体的に生育不良の傾向がある中で、ワサビ田を後世に残そうと、片井さんは「田を取り巻く水環境の観測」と「水温が生育に与える影響」の２項目で研究を始め、科学的な裏付けを進める。その上で「何とか栽培が維持できる方向を探りたい」として、来年２月の中間報告を目指している。