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新明和工業の宮内空野さん。自身も携わったヤマハ発動機との共同開発機の前で=静岡県静岡市清水区、富士川滑空場
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新明和工業の宮内空野さん。自身も携わったヤマハ発動機との共同開発機の前で=静岡県静岡市清水区、富士川滑空場
今は無人航空機などの開発に取り組む新明和工業の宮内空野さん=静岡県静岡市清水区、富士川滑空場
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今は無人航空機などの開発に取り組む新明和工業の宮内空野さん=静岡県静岡市清水区、富士川滑空場
ヤマハ発動機と共同開発した機体に乗り込んだ新明和工業の宮内空野さん=静岡県静岡市清水区、富士川滑空場
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ヤマハ発動機と共同開発した機体に乗り込んだ新明和工業の宮内空野さん=静岡県静岡市清水区、富士川滑空場
無人航空機開発の先頭に立つ新明和工業の宮内空野さん=神戸市東灘区青木1、新明和工業甲南工場
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無人航空機開発の先頭に立つ新明和工業の宮内空野さん=神戸市東灘区青木1、新明和工業甲南工場
無人航空機開発の先頭に立つ新明和工業の宮内空野さん=神戸市東灘区青木1、新明和工業甲南工場
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無人航空機開発の先頭に立つ新明和工業の宮内空野さん=神戸市東灘区青木1、新明和工業甲南工場

 人力飛行機で飛距離などを競う「鳥人間コンテスト」に、かつてパイロットとして出場。28キロを超える記録で優勝を果たし、「伝説の鳥人間」とも評された技術者が兵庫県宝塚市のメーカーにいる。航空機事業などを展開する新明和工業の宮内空野さん(37)。宮内さんは今、人力機から航空機にフィールドを変え、研究にいそしんでいる。

 ■ウインドノーツ初優勝

 2006年の鳥人間コンテスト第30回大会。人力プロペラ機ディスタンス部門で、東北大学のサークル「Windnauts(ウインドノーツ)」が初優勝を飾った。飛行距離は実に2万8628・43メートル。宮内さんがパイロットだった。

 「ただ今プラットフォームに座標変更」「足がつった。最高に足がつった。もはや限界が近づきつつある」「ご無体な」

 琵琶湖上、動力としてのペダルをこぎ続ける過酷な飛行のさなか、自らを実況中継するかのように操縦席内で発した実直な言葉の数々は、今も「名言」としてインターネット上で紹介されている。

 本人は「成果を得るためにがんばっただけで。狙ったわけではなく…」としつつ、「どんなことでもコンペティター(競争相手)がいる世界で成果を出す人は変なくせがあるのかも」と自嘲気味に笑う。

 ■ものづくり少年

 岡山県倉敷市で育った宮内さん。特徴的な「空野」という名前の由来は「実は聞いてないんです。空や野をかけたりとかですかね」。家庭の方針で家にテレビがなく、少年時代は工作や読書、絵画に没頭した。ラジコンは、自分で図面からおこして制作。自分が描いた飛行機を自分で飛ばしたい。そんな思いが芽生えてきていた。

 大学は、東北大工学部の航空宇宙工学の専攻へ。高校の時、友人から鳥人間コンテストで東北大学の活躍を伝え聞き知ったウインドノーツの存在も、進学理由の一つだった。

 3年生となり、パイロットの座を射止めた。「必要なのは、例えば仙台と東京の間を走りきるくらいの持久力とかですかね」と、宮内さんは平然と振り返る。

 ■つくりたいのは飛行機

 東北大大学院を2011年に修了した宮内さんは、小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」に取り組んでいた本田技術研究所(埼玉県和光市)に就職した。ただ、ジェットに携われる可能性はほぼなかった。

 その後、ロケットの国家プロジェクトに関連した転職の誘いもあったが、断った。「飛行機がつくりたかったんでしょうね。ゼロから青写真を描けるところがないかなと」。そんな宮内さんの目に、水陸両用の救難飛行艇「US-2」製造などの実績を持ち、航空機部品も扱う新明和が目に留まった。2014年、入社した。

 ■無人機を設計

 翌2015年、新明和はドローン市場を見据えた新事業を動かし始めた。部署を横断的に10人ほどで取り組む新たな事業。「組織で物事に取り組む時にはリーダーや参謀、外部の協力者など、いろんな背景の人がいて成り立つことを学んだ」という、学生時代の経験を生かし、当初から事業の中核を担う。

 機体のスケッチを描くところから始め、既に固定翼型無人航空機と、水上での発着が可能な無人飛行艇を自らのデザインによって生み出し、実証実験も重ねてきた。今秋には、より大型の機体で自動飛行を実現するために、有人機の試験飛行もした。宮内さんは、免許を取得し、自ら実験機を操縦した。

 ■鳥人間、その先へ

 新明和に入社まもなく、宮内さんは「ROKKO WORKS」という有志のグループを立ち上げた。自作飛行機を飛ばすことが目的のグループだ。メンバーは社内を中心とした技術者ら。会社の理解のもと、神戸市東灘区の新明和工業甲南工場内に作業場を持つ。

 鳥人間に挑む学生を中心とした若い世代に、「飛行機をつくる行為につなげ、それが事業にもつながるものにする。『鳥人間』の次があること」を見せたいというのが、グループの活動動機だ。PRにと、実は2017年にもこのチームで鳥人間コンテストに出場した。そこでは、学生時代の記録を上回る30キロ超を飛んで準優勝した。

 今後は-。大会出場は「35歳を超えた人間がやるこっちゃないです」と一区切りのつもり。今抱くのは、現在の仕事を「会社の事業としてやるにたるものに育てたい」との思い。その先には「例えば4人家族が、今の自動車と同じように移動できるような、そんな飛行機がつくりたいですね」との展望も胸に秘める。

 ちなみに宮内さん、06年の鳥人間コンテストで、自分に言い聞かせるようなこんな言葉も残している。

 「おいおい、そんなもんじゃねえだろ」

 先にある目標へ、宮内さんはペダルをこぎ続ける。(大盛周平)

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