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消防士だった父親と「同じ景色を見たい」と願い、夢をかなえた垂水消防署消防士長の山本奈緒さん=神戸市垂水区舞多聞東1、垂水消防署
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消防士だった父親と「同じ景色を見たい」と願い、夢をかなえた垂水消防署消防士長の山本奈緒さん=神戸市垂水区舞多聞東1、垂水消防署
父親からは「信じた道を行けばいい」と助言された。山本奈緒さんは今、その道を進む=神戸市垂水区舞多聞東1、垂水消防署
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父親からは「信じた道を行けばいい」と助言された。山本奈緒さんは今、その道を進む=神戸市垂水区舞多聞東1、垂水消防署
舞子高校環境防災科時代、海外から訪れた研修生と記念撮影をする山本(旧姓井上)奈緒さん(手前)=2005年ごろ
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舞子高校環境防災科時代、海外から訪れた研修生と記念撮影をする山本(旧姓井上)奈緒さん(手前)=2005年ごろ
消防士だった父親と「同じ景色を見たい」と願い、夢をかなえた垂水消防署消防士長の山本奈緒さん=神戸市垂水区舞多聞東1、垂水消防署
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消防士だった父親と「同じ景色を見たい」と願い、夢をかなえた垂水消防署消防士長の山本奈緒さん=神戸市垂水区舞多聞東1、垂水消防署

■消防士・山本奈緒さん(35)=兵庫県明石市

 阪神・淡路大震災から17日で28年。当時、被災地で活動した父の背中を追い、消防士になる夢をかなえた女性がいる。神戸市消防局職員の山本奈緒さん(35)=旧姓井上、明石市。2児を出産後の今も火災現場に出動し、災害から市民の命を守る使命を担っている。

 兵庫県稲美町の実家で大震災に遭ったのは小学1年生の時。二つ上の兄と2階の子ども部屋で寝ていた。

 「布団の中にもぐっとけ!」

 地鳴りに気付いた父雅文さんが、部屋に入ってきて大きな声を出した。人生で初めての大きな地震。なぜ揺れているのかも分からなかった。

 しばらくして1階の母と妹と合流し、家族そろって一安心したのもつかの間。テレビをつけると、情報が徐々に入ってくる。

 神戸市消防局の航空機動隊員だった父はその間、着々と仕事に出る準備をしていた。自宅に電話がかかり、すぐに神戸・ポートアイランドの航空機動隊庁舎へ出発。連日、ヘリコプターから写真や動画を撮り、被害状況を記録に残していた。

 「どこにいったん? なんで帰ってこないん?」

 それから2、3週間、父の姿を見ることはなかった。夜中に帰宅し、子の寝顔だけ見てすぐ出たこともあったという。それまでは家族全員で朝晩の食事を共にしたり、父と一緒に風呂に入ったり。そんな当たり前の日常が、震災で一変した。

 テレビには連日、悲惨な映像が映し出された。

 「父ちゃんはここの中で頑張っているんやで」

 母からそう言われても、自分の存在が忘れられているような不安と心配に駆られた。

■夢は父と同じ消防士に

 「災害のときに家族を置いていく仕事って何なんだろう」。ずっと考えているうち、ある思いが芽生え始める。震災から5年後。

 「消防士になりたい」

 小学校の卒業文集に、そうつづっていた。「父と同じ景色を見たい」と思った。

 奈緒さんが中学時代、雅文さんから「消防士になりたいならこういう学校がある」と勧められた。舞子高校環境防災科で、全国で初めて設立された防災専門の学科だった。

 2003年に同校へ入学。ボランティアで、台風で被災した豊岡市の公民館を掃除したり、新潟県中越地震の仮設住宅で雪かきをしたりした。

 神戸市消防局を目指し、同校を卒業後もアルバイトをしながら予備校に通った。筆記と論文、体力検査などを通過し、最後の面接まで進んだ。

 「おまえ合格したぞ!」

 同局の合格発表を、インターネットで確認しようとしていたところ、一足先に市役所の掲示を確認しに行っていた父雅文さんから電話があった。

 「やっと始まったな、とすごくわくわくした」

 消防士になった後で知ったことがある。元々救助隊員として活躍していた雅文さんは震災後、記録の役目に徹していたが、ヘリコプターから山中で身動きできなくなった人を発見した。

 「危険な中で、降りることができても一発勝負」。ヘリからロープで下り、無事救出に成功したという。

 そんな父の存在があり、入局後は周囲から「救助の道に行くん?」とよく聞かれた。どう返事をしていいか分からなかった。

 消防学校、長田消防署を経て西消防署に入った2年目のころ。

 「おまえはおまえの信じた道を行ったらいいんじゃないか」

 父から初めてで唯一の助言を受けた。

■2児の母としての思い

 奈緒さんは2014年9月、介護施設職員の男性と結婚。16年7月に長女、18年7月に次女をもうけた。産休、育休を挟んで、消防局では、消防音楽隊などで啓発活動を中心に担ってきた。夫には「子どもができたら(火災や救助の)現場に行くのは諦める」と告げていた。

 歩む道を示してくれた父は17年1月22日、ロードバイクに出た先で、心筋梗塞で亡くなった。まだ61歳だった。

 「いまだにいろんな人から父の昔話を聞ける」と言う。仕事でミスをして落ち込んでいるとき、元気をもらう。

 22年4月、現場の消火活動に関わるという念願がかなった。垂水消防署消防防災課に異動。「覚えることが多く体力的にもまだまだで苦労しているが、毎日が充実していてすごく楽しい」

 同年11月、初めて垂水区の民家1軒が全焼する火災があり、ホースを延ばして先頭に立って放水。「やりがいを感じた。この仕事を続けたい」

 市民の命を守る同じ消防隊員として、あのとき家を離れた父の行動は理解できるようになった。「もし大きな災害が起きたら、父と同じことをする」。一方で、残される立場も分かる。

 今は2人の娘の母。日頃から家庭で仕事の話をしたり、休日に消防署に連れて行ったり。「もしものときは、ちゃんと迎えに行くからね」と約束している。「同じことになったときに、少しでも娘の心が軽くなるように」と。

 若い世代には伝えたい。「災害というつらい出来事の中から夢を見つけることもある。やりたいことができたら、まっすぐ突き進んでほしい」

【特集ページ】阪神・淡路大震災

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