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母と妹の名前が刻まれた銘板に触れる山田克敏さん=17日午前5時58分、神戸市中央区加納町6、東遊園地
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母と妹の名前が刻まれた銘板に触れる山田克敏さん=17日午前5時58分、神戸市中央区加納町6、東遊園地
母の名を見て涙ぐむ出口恵美子さん=17日午前9時34分、神戸市中央区加納町6、東遊園地
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母の名を見て涙ぐむ出口恵美子さん=17日午前9時34分、神戸市中央区加納町6、東遊園地
姉の屋百合子さんを亡くした渡辺勝子さん(右)と夫の正頼さん=17日午後0時1分、神戸市中央区の東遊園地
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姉の屋百合子さんを亡くした渡辺勝子さん(右)と夫の正頼さん=17日午後0時1分、神戸市中央区の東遊園地
亡くなった長女純子さんに思いをはせながら竹灯籠を見つめる渋谷洋子さん=17日午前11時18分、神戸市中央区、東遊園地
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亡くなった長女純子さんに思いをはせながら竹灯籠を見つめる渋谷洋子さん=17日午前11時18分、神戸市中央区、東遊園地

 灯籠の揺らぐ炎を見つめ、月の浮かんだ暗い空を仰ぐ。阪神・淡路大震災から28年を経た被災地では、思い思いの形で、亡くした家族や友人の面影をしのぶ姿が見られた。大切な人に伝えたい、尋ねたい話がある。まぶたを閉じて、彼らが語りかけた言葉とは-。

■母の黄順基さん(48)、妹の趙美和さん(17)を亡くした山田克敏さん(50)=高砂市

 震災前に両親が離婚し、当時2人とは離れて暮らしていました。神戸市長田区の西代に住んでいたのも知らず、亡くなったのを知ったのは地震2週間後。高砂から慌てて向かいました。

 私たち3きょうだいが幼い頃、母は旅館や飲料販売などの仕事を掛け持ち、生活を支えてくれました。同じく亡くなった末っ子の妹は明るい子やった。仕事で長田の近くを通ると、今でもふと2人の顔を思い浮かべるんです。

 若い時はやんちゃして、苦労ばかりかけたね。申し訳ない気持ちもあり、毎年、東遊園地で手を合わせています。2人とも見てくれているやろうか。

 先日、自宅の整理をしていたら、私が少年時代に使っていた水筒とゴレンジャーの弁当箱を見つけました。楽しかったあの頃を思い出します。おかんの作る甘くない卵焼きが恋しいなあ。

■母のよしゑさん=当時(81)=を亡くした出口恵美子さん(75)=神戸市長田区

 あの日、お母さんが寝ていた1階の掘りごたつがつぶれて、体を引き出せなかった。火がすぐそこまで迫ってきていた。炎の熱さを間近で感じて、「死にたくない」って思ったの。気付いたら逃げ出していた。振り返らなかった。ごめんなさい。ずっと後悔してる。

 両親と3人暮らしだった。お母さんは、部屋が炎で照らされて「明るくなったね」って、夜が明けたと勘違いしていた。本当のことを伝えられず、黙るしかなかった。それが、最後に聞いたお母さんの声。

 何もできず、長屋が燃えるのをお父さんとただ眺めていた。涙は出なかった。泣けるようになるまで、1年近くかかったんだよ。

 写真も全部焼けちゃった。お母さんに会うため、毎年、東遊園地に来るの。銘板のお母さんの名前を触りながら謝ると、優しく許してくれているような気持ちになるから。

■娘婿の松下章さん=当時(22)=と孫の良太ちゃん=同(2)、健太ちゃん=同(11カ月)=を淡路市で亡くした伝法クニ子さん(76)=淡路市

 当時近くに住んでいた娘家族の自宅が全壊しました。震災後は、夫と夕食後に北淡震災記念公園まで散歩するのが日課でね。夫が「あの星は良太、こっちは健太と章さん。空から見ているやろ」と言ってね。だから頑張ろうねって。

 その夫も、7年前にがんで亡くなりました。寂しいけど、孫たちと一緒と思うと安心かな。今年も来たよ。じいちゃんと遊んでいてね。=淡路市の北淡震災記念公園で=

■姉の屋(おく)百合子さん=当時(54)=を神戸市東灘区で亡くした渡辺勝子さん(71)=神戸市須磨区

 お姉ちゃんは幼い頃、高熱が原因で耳が聞こえなくなりました。でも学校を出ると、努力して洋服の仕立ての仕事に就いたんです。お姉ちゃんの技術は本物で、自慢でした。

 小学2年生の孫が今、震災を教わっている最中だそうです。お姉ちゃんは困難に負けず、明るく生きた人だと伝えたいと思います。お姉ちゃん、いつか孫と一緒にここに来るね。その時には、手話で「ありがとう」って伝えるつもりだよ。=神戸市中央区の東遊園地で=

■中学時代からの親友、森下清司さん=当時(29)=を西宮市で亡くした森寺大輔さん(57)=西宮市

 たばこの好きな男やったから、記念碑に1本だけ供えてきた。体が大きくて、ジャイアンみたいで。でも心根は優しくてね。

 あいつのアパートは全壊。体育館で遺体と対面した時、信じられなくて「はよ起きいや」と頬を触ったな。僕はおやじから受け継いだ理容室を経営している。迷った時、悩んだ時は「きよっちゃんがおってくれたら」って思う。一緒におっさんになりたかった。=西宮震災記念碑公園で=

■姉の里子さん=当時(26)=を神戸市東灘区で亡くした大西景継さん(51)=西宮市 

 私と姉が寝ていた家の1階がつぶれて、私はこたつで無事だったけど、姉はがれきの下敷きになって亡くなりました。

 世話好きの姉は、仕事始めの日に会社で手作りのぜんざいを振る舞っていました。今でも、この時期になると、同僚だった方が花束を贈ってくれるんです。

 まだまだ姉さんにはかなわないけど、姉さんみたいに、人のために行動できる人になりたいと思って、毎日懸命に生きているよ。=神戸市中央区の東遊園地で=

■長女の純子さん=当時(23)=を神戸市中央区で亡くした渋谷洋子さん(80)=神戸市中央区

 純子が寝ていた1階がつぶれてね。近所の人と引っ張り出した時には、もう息がなかった。服に興味があって、既にアパレル店の店長になっていた。震災翌日の18日に東京出張に行く予定で、新幹線のチケットも買っていた。それが少し早ければと思うと、チケットを捨てられなくて。今も持っています。

 毎晩、純子の写真に話しかけている。今日は「お父さんとお兄ちゃんたちと元気でやっていくよ」って言おうかな。=神戸市中央区の東遊園地で=

【特集ページ】阪神・淡路大震災

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