終戦後、旧ソ連によってシベリアに約４年間抑留された田中唯介（ゆいすけ）さん（９７）＝兵庫県高砂市＝が、自らの壮絶な体験をアコーディオン演奏に乗せ、語り部活動を６０年以上続けている。極寒、重労働、飢え、戦友の死…。「生きるのが、死ぬよりつらかった」という過酷な日々。ロシアのウクライナ侵攻には、ソ連の卑劣な行為の記憶が重なった。「命がある限り歌い続け、平和の大切さを訴えたい」と意欲は衰えない。

■明日になったら凍って死んでいるかも

　「マイナス４０度の極寒の中、戦友たちが倒れていきました。明日になったら自分も凍って死んでいるかもしれない」

　２月２日、同県播磨町東本荘１の町中央公民館で催した公演。田中さんは聴衆約１３０人に、死と隣り合わせだった抑留生活を振り返り、そう語りかけた。

　続いて自ら作詞作曲を手がけ、戦友との日々を歌った「夢凍る・シベリヤの友よ」など、約２０曲を披露。涙ぐむ人もいた。

　田中さんが出征したのは、１９歳だった１９４５年１月。舞鶴で陸軍部隊に入営し、満州（現中国東北部）で終戦を迎えた。

　同９月、ソ連兵に「ダモイ　トウキョウ（東京に帰す）」と言われ、列車に乗った。東へ向かっていると思い込み、水面が見えた時には、日本海だと喜んだ。しかし水をなめてみると、淡水。バイカル湖だった。だまされたと気付いた。

　カラガンダ（現在のカザフスタン中部の都市）で、吹雪の中、ラーゲリ（収容所）に向かって歩かされた。逃げ出そうとした戦友は、銃で撃たれ、雪に顔をうずめて動かなくなった。

■体重は３５キロに

　大地も凍る極寒の地域で、れんがの材料になる粘土の採掘作業などに従事。スコップで地下の粘土を掘り、地上に運んだ。ソ連兵は銃を手に、「ラボータ、ラボータ（働け、働け）」と繰り返した。

　食事は１００グラムほどのパンと、わずかなスープに、キャベツが数枚。空腹で頭がもうろうとし、夏場はバッタやカエルを捕まえて食べたという。体重は３５キロまで落ちた。朝起きると、戦友が冷たくなっていることも。

■音楽が支え

　風呂は月１回。直径約２０センチの缶に入った湯を、１杯だけ使うことを許された。シラミやノミがわき、体は常に異臭がしたが、全員が同じ臭いで気にならなかった。感染症が広まり、戦友が立て続けに亡くなったこともあった。

　「けだものと同じだった。来る日も来る日も、『死んだほうが楽』とつぶやいた」

　帰国を夢見て耐えていたが、次第にわずかな希望を抱くことも苦痛になった。

　絶望の日々を支えたのは、音楽だった。

　同じ収容所に入っていたドイツ人捕虜の楽団員たちが、毎週土曜に食堂で演奏会を開いていた。そのアコーディオン演奏に魅了され、教えを請うた。音楽に触れている時は、苦しい日々を忘れられた。

　４９年１１月、舞鶴港に帰国。故郷の阿閇（あえ）村（現播磨町）の生家に帰ると、母は玄関で田中さんに抱きついてきた。母は、泣いていた。

　田中さんはその後、高砂市に楽器店を開業。抑留中の事故で３本の指先を切断していたが、アコーディオン演奏を諦めず、練習を重ねた。酒場で演奏したり、音楽教室を開いたりして生計を立てた。３０代の頃から、シベリアでの体験を弾き語るようになった。

　２０２０年には、長年の活動に対し、シベリア抑留者支援・記録センター（東京）から、「シベリア抑留記録・文化賞」の功労賞を受けた。

■よみがえる記憶

　２２年２月、ロシアがウクライナに侵攻した。命を軽んじる戦闘行為。報道で知る惨状に、７０年以上前、多くの戦友がまるで物のように扱われ、死んでいった記憶がよみがえった。「卑劣なやり方は何も変わっていない」と嘆く。

　同じ部隊に８４０人いた戦友のうち、生きているのは田中さんを含め３人になったという。「もう誰も、自分と同じ目に遭う人を生みたくない。そのためにも、少しでも多くの人に体験を伝えていきたい」と強いまなざしを見せた。

【シベリア抑留】１９４５年８月９日、旧ソ連が対日参戦し、終戦後に満州、樺太、千島列島から、日本兵や民間人をシベリアやモンゴルに移送。鉄道建設や森林伐採、石炭採掘などの重労働を強いた。厚生労働省によると、抑留者は約５７万５千人に上り、うち約５万５千人が栄養失調や病気などで死亡したとされる。