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「まち歩き」の準備を進める多賀城高校災害科学科の1年生=宮城県多賀城市笠神2
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「まち歩き」の準備を進める多賀城高校災害科学科の1年生=宮城県多賀城市笠神2
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「まち歩き」の準備を進める多賀城高校災害科学科の1年生=宮城県多賀城市笠神2
災害科学科の生徒らが多賀城市内で設置を進める「津波波高標識」=宮城県多賀城市笠神2
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災害科学科の生徒らが多賀城市内で設置を進める「津波波高標識」=宮城県多賀城市笠神2

 宮城県多賀城高校(同県多賀城市)の「災害科学科」は、11日で発生から12年となる東日本大震災の被災地に開設された全国2例目の防災専門学科だ。1例目の兵庫県立舞子高校(神戸市垂水区)の環境防災科と連携し、教訓を次代に伝え、防災を担う人材を育ててきた。数年後に向き合うことになる「神戸と東北で共通する課題」を前に、結びつきを強めている。

■「津波波高標識」150カ所以上

 「イオンから海までの距離はどれくらい?」「『遡上』という言葉が分かりづらいかな」

 3月2日。災害科学科の1年生約40人が、20日に迫った「まち歩き」に向け、班ごとに分かれて意見交換していた。

 多賀城市は津波で市域の約34%が浸水し、188人が犠牲になった。がれきが撤去され、その痕跡が減る中で、多賀城高の生徒らは市内各地を襲った津波の高さを調査。2013年夏から、地域と協力して電柱などに「津波波高標識」を設置する作業を始め、これまでに150カ所以上に設置した。

■科学的に防災を学ぶ

 「まち歩き」はその標識をたどりながら、生徒自身がガイドとなって案内する取り組みだ。荒川清政教諭(44)は「先輩たちが作った案内の『型』はあるが、知識を深めないと説明できない。いま、そこを掘り下げているところです」。

 同校に災害科学科が開設されたのは16年4月。将来、大学などを経て災害派遣医療チーム(DMAT)従事者や研究者になる人材を育てようと、普通科の科目に加え、「社会と災害」「自然科学と災害」「くらしと安全」などの学校設定科目を履修する。津波被災地のフィールドワークを重ね、科学的に防災を学ぶ。巣立ったのは、3月の卒業生を含め174人となる。

■災害「わがこと」に

 交流を深めてきたのが、阪神・淡路大震災をきっかけに02年4月に発足した舞子高環境防災科だ。多賀城高は「後輩」として開設前から助言を受け、今も生徒が行き来する。昨年10月には神戸であった防災推進国民大会(ぼうさいこくたい)に出展し、舞子高のワークショップに参加。今年1月には学校行事に舞子高の生徒を招いた。

 現在、災害科学科で学ぶ生徒は、東日本大震災当時まだ幼かった。東舘拓也科長(35)は「あと数年で、震災時は生まれていなかった世代が入学する。災害を『わがこと』と捉えられるように工夫し、舞子高と切磋琢磨しながら防災教育を広めていきたい」と話す。

 舞子高環境防災科の鈴木あかね科長(33)は「震災の記憶のない世代への語り継ぎは、神戸と東北で共通する課題」とし、今後も取り組みを高め合う。

   ◇    ◇

■幼少期に発生、震災の記憶なお鮮明、多賀城高災害科学科1年生

 多賀城高校災害科学科1年生は、同科の7期生。東日本大震災当時、未就学児だった生徒たちだが、その記憶は鮮明に残る。

 阿部春佳さん(16)は当時4歳。仙台市内の自宅で揺れを経験した。建物は無事だったが、「高台だったけど川が近かったので、津波から逃れようと家族と車で避難した」と話す。

 鈴木理南さん(16)は宮城県塩釜市の自宅で祖母と机の下に隠れた記憶を持ち、「食器棚が倒れてきて全部割れた」と振り返る。

 同科を志したのは「人の役に立ちたい」との思いから。阿部さんは中学3年のときに同県気仙沼市の震災遺構を訪れて生々しい傷痕を目にし、「自分にできることはないか」と考えた。鈴木さんは中学で被災者の聞き取り調査に参加し、「伝えることが防災につながる」と感じたという。

 「自分たちより若い世代にも、災害が身近に起こる危機感を持ってほしい。学びながら伝えたい」と阿部さん。幼稚園教諭が夢という鈴木さんは「フィールドワークで学んだ復興の様子も伝えて行けたら」と笑顔で話した。

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