• 印刷
気仙沼高校で課題研究のサポートを行う加藤拓馬さん(左奥)=宮城県気仙沼市(提供)
拡大
気仙沼高校で課題研究のサポートを行う加藤拓馬さん(左奥)=宮城県気仙沼市(提供)
「いい学びがあり、人が循環し続けるまちにしたい」と語る加藤拓馬さん
拡大
「いい学びがあり、人が循環し続けるまちにしたい」と語る加藤拓馬さん
まるオフィスが運営をサポートしている「探究学習塾」(提供)
拡大
まるオフィスが運営をサポートしている「探究学習塾」(提供)

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市で、兵庫県出身の加藤拓馬さん(34)が「人が集うまちづくり」に奮闘している。震災後に移住して12年。人口減少が進むまちで、試行錯誤の末にたどり着いたのが「教育」だった。若者が夢を持つことができれば、地域が変わる-。そんな思いで行政や企業と組み、高校生らの学びをまちぐるみで支援している。

人が減るまち、中高生と地域課題を探究

 加藤さんは一般社団法人「まるオフィス」(同市)の代表理事。昨年秋、運営に協力するイベント「気仙沼の高校生 MY PROJECT AWARD」が同市内で開かれた。

 高校生13人が、自ら設定した地域課題と、その解決案を発表した。「気仙沼を日本一面白い港町にしたい」「オリジナルピクトグラムで外国人に避難所を分かりやすく」「(JR)大船渡線の未来へ」…。

 加藤さんらがアドバイザーとして伴走し、大人たちの協力を得ながら、ふるさとをフィールドに学びを深めてきた。高校生はイベントの企画や交流サイト(SNS)での情報発信にも積極的に取り組んだ。

 加藤さんは同市内の10中学校でも、地域課題と向き合う授業のサポートをしている。「いい学びがあるまちに人は集う」と信じるからだ。

    ◇

 加藤さんは幼稚園年長のころ、神戸市東灘区魚崎北町のアパートで阪神・淡路大震災に遭った。その後、母親の実家があった姫路市に移り、英賀保小に入学。白陵高から早稲田大に進学し、就職先も決まっていた卒業直前の3月、東日本大震災が起きた。

 大学4年間、ハンセン病回復者が暮らす中国の村でボランティア活動をしてきた加藤さん。「現場で何かできることがあるかもしれない。4月からスーツを着て働くのは違和感があった」。内定辞退の連絡をし、気仙沼に向かった。

 「半年ぐらい」のつもりでがれきの片付けをしていたが、時間がたつにつれ、地元の人はどんどん疲弊していった。「頑張れない」という言葉も聞いた。どうしたら元気になれるのか、引き続き、現地で模索することにした。

 秋ごろから、地元の人を紹介するフリーペーパーを発行。その年末、住民の一人から「これからは一緒にやっていくべし」と言われた。「ありがとう」よりもずっとうれしかった。「被災者と支援者の関係じゃなく、地元の人とよそ者が一緒にまちづくりをしていけたら」と考えた。

地元の人を笑顔に、試行錯誤の末

 4年後の2015年に法人を設立。観光事業に取り組んだが、自分が笑顔にしたいのは観光客よりも地元の人と気づき、方向転換。今度は漁師の後継者不足を解消しようと、地元の中学生に漁師体験をしてもらったが、「子どもの選択肢を狭めているだけかも?」と葛藤した。

 試行錯誤の末、たどりついた目標。それが「子どもたちの将来の選択肢が広がる活動をしたい」だった。

 考えたのはこうだ。子どもたちの学びを充実させ、夢を持てるようにする。子どもは地元といい関係を持ったまま外に飛び出し、中にはふるさとに貢献したいと帰ってくる子がいるかもしれない。帰ってこなくても、気仙沼市といい関係が続けばいい-。

 震災直前、約7万4千人だった気仙沼市。死者・行方不明者は1433人を数え、人口は現在、約5万8千人まで減った。加藤さんは今後、まちが持続していくためには、市と「関係する人口」が鍵を握ると考えている。

 昨年7月、同市などが高校生らを支援する「気仙沼学びの産官学コンソーシアム」を立ち上げた。加藤さんは「プロジェクト統括官」という中心的な役割を担う。「震災をきっかけに面白い取り組みが始まって、それが日本各地に広がったらいい」。そんな夢を描いている。

東日本大震災
もっと見る
 

天気(10月20日)

  • 23℃
  • ---℃
  • 30%

  • 22℃
  • ---℃
  • 60%

  • 23℃
  • ---℃
  • 30%

  • 23℃
  • ---℃
  • 30%

お知らせ