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尼崎JR脱線事故で18歳の次女を亡くした男性。今年3月に発見し、スマートフォンに保存した次女の写真を見つめる=宝塚市内
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尼崎JR脱線事故で18歳の次女を亡くした男性。今年3月に発見し、スマートフォンに保存した次女の写真を見つめる=宝塚市内
尼崎JR脱線事故で18歳の次女を亡くした男性(手前)と妻。家族を失った人たちの悲しみを共有する「はすの会」の活動は10年を超えた=芦屋市業平町
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尼崎JR脱線事故で18歳の次女を亡くした男性(手前)と妻。家族を失った人たちの悲しみを共有する「はすの会」の活動は10年を超えた=芦屋市業平町
JR脱線事故で18歳の次女を亡くした男性(左)と妻。家族を失った悲しみを分かち合う会「はすの会」を立ち上げ、10年を越えた=芦屋市民センター、芦屋市業平町
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JR脱線事故で18歳の次女を亡くした男性(左)と妻。家族を失った悲しみを分かち合う会「はすの会」を立ち上げ、10年を越えた=芦屋市民センター、芦屋市業平町

 尼崎JR脱線事故の発生から25日、18年がたった。大学生になったばかりの次女=当時(18)=を亡くした兵庫県宝塚市の男性(73)は、娘が生きた長さと同じ年月を「自分の中では何も進んでいない。ゼロだ」と振り返る。誰も責任を取らなかった裁判の結果が、さらに自身の心を苦しめる。家族を失った悲しみを分かち合うグループを妻とともに10年余り運営し、気持ちを前に向けている。

■無罪確定、責任の所在は…喪失感、遺族らと語り合い共有

 次女は埼玉県で生まれた。4人きょうだいの3番目。明るく活発な性格で、木工作業をする男性の背中におぶさって「お父さんの弟子になる」とおどけた。小学校ではクラスの人気投票で選ばれたと、うれしそうに報告してくれた。

 転勤で引っ越した宝塚市の中学では、バスケットボール部に入った。恥ずかしがって「絶対見に来ないで」と観戦を拒まれたが、こっそり座った相手チームの応援席で「あの選手を止めろ!」と、得点源の次女を指して声がかかり、誇らしかった。

 2005年4月、次女は同志社大学に入った。前年暮れ、家族で神社を訪れ「合格しますように」と祈っていた。雑誌の編集者を志し、メディア学科を専攻した。大好きなバスケットのサークルにも入った。

 希望あふれる始まりの季節に、惨事は起きた。

 4月25日朝。学校に行くため、JR宝塚線の快速電車の2両目に乗った。電車は尼崎市内で脱線、線路脇のマンションに激突した。2両目は建物に巻き付くようにひしゃげた。次女は車体にはさまれ、頭を打って亡くなっていた。

 通夜と葬儀には両日、友人ら約500人が参列した。18歳の早過ぎる死を悼み、会場の外にまで列ができていた。

■「身を切るような痛さ」は変わらず

 あれから18年。孫が2人できた。仕事は引退した。さまざまな出来事があったが、まな娘を失った「身を切るような痛さ」は変わらず、悲しみは「むしろ強くなっている」。

 今年3月、机の引き出しから次女の幼稚園時代の写真が出てきた。菊の花に囲まれ、穏やかにたたずんでいた。また会えたら。想像するだけで、声が震える。涙がこぼれる。

 前に進めずにいるのは「乗客106人の命を奪う事故が起きたのに、誰も責任を取っていない」憤りがある。JR西の歴代社長が業務上過失致死傷罪に問われたが、無罪判決が確定した。

 組織は安全より効率を優先する風土や仕組みを追い求めてきた。その過去に向き合うJR西の姿勢は中途半端に映る。責任を取っていたら少しは気持ちが変わったかも、と想像する。

■グリーフケア学び、妻や仲間と「はすの会」立ち上げ

 男性はそれでも少しずつ生きる意味を見いだした。12年3月に始めた「はすの会」の活動だった。

 残された家族の喪失感と向き合おうと、09年から大学の研究所でグリーフ(悲嘆)ケアを学んだ。一緒に受講した妻や仲間と会を立ち上げ、尼崎脱線事故に限らず家族、愛する人を失った遺族らが気持ちを語り、共有する場を設けた。

 大阪府東大阪市と芦屋市で月1回ずつ開いている。スタッフは9人に増え、勉強会も続ける。

 男性はときに、参加者からの問いに自分なりの答えを伝える。「自分だから言える言葉がある。少しでも支えが必要な人の役に立ちたい」。悲しみが消えることはない。つらい時、いつでも心を寄せられるように会を続ける。(小谷千穂)

尼崎JR脱線事故阪神
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